2011年12月1日木曜日

紅葉



11月の終わりとともに秋から冬へと変わったのだろうか、今日はとても寒い。
先日は秋の日和の中、紅葉を描きに近所の野川へ行った。モミジとイチョウの赤と黄に草の緑、更に空の青と色彩が豊かな場所で、多くの人も写真を撮っていた。

ジャケットを着ていては暑いと感じるくらいの陽気だったので、魔法瓶に入れて持ってきたホットココアもこの日はあまり飲むことはなかった。

2011年11月27日日曜日

呼ばれる

息子は朝起きる時頃機嫌がいい。
その日も普通に朝の用意などをしていたら、突然息子に「おとうしゃん」と呼ばれた。急に呼ばれたので驚いた。もう一度呼んでもらおうと両親二人で努めたけれど一回だけのサービスだったようだ。
その後、時々気分が乗った時言う、一度「おかあさん」とも喋った。
呼ばれると不思議な気持ちになるが確かに嬉しくもある。


大根の葉っぱ遊びに興じる咲太朗。

2011年11月14日月曜日

免許更新

実際の所優良運転者であるかどうかはさておき、今回も優良免許で更新出来た。近くの警察署で出来るとの事だが、一番近い府中運転免許センターへ。ここは入った事はなかったがよく以前から通っていたのですぐに辿り着くことが出来た。更新は①番受付→②番→③・・とオリエンテーリングをやっているかのように淡々と次々に手続きを進んでいった。しかしながら、毎回同じようなビデオと講習では5年に一度でもこの手続きは面倒だと感じてしまう。フランスのように一度取ったら生涯更新なしなどと言うようになったら良いのだが、国柄「きまり事」の多い日本では到底無理だろうなと感じる。極端な言い方だけれど便利で窮屈か、不便で寛容かどちらを望むかと言う所だろう。ただ日本に住んでいると諸外国の風習に触れる機会が無いのでこれが普通の事だと思い込んでしまう。日本はおそらくかなり特殊で制度がきっちりされている国だと思う。自分にとってはいささかきっちりされすぎていて面倒だと感じてしまう事もある。

免許センターに行って来たのでこのような気持ちが大きく湧いてきてしまった。

(2017年全体の修正の最中この記事を見て思ったこと。この頃は決まり事に違和感を強く覚える「年ごろ」だったのだろう。その後国際免許なども含め数回同じ場所で申請をしていた。今はこうしてスムーズに更新できるのだったらいいんじゃないかと思っている。田舎に移住してきまり事に漬からずに生活できているからだろうか・)

2011年11月5日土曜日

りんご園



来年の企画で、林檎の木を描こうと埼玉県にある林檎農園を訪れた。入口のおじさんに理由を話したところ快く了解してくれ、林檎畑の案内をしてもらった。林檎畑と言えば近辺では長野県であろうが、今回は数少ない関東圏の林檎園(一番近い)へと向かった。
林檎の木はわい化されており、中を通る時は腰をかがめて潜り抜けることも必要だった。時折、巣作りも終わりにさしかかった大きなクモの巣に顔を引っかけてしまい、背筋が凍る思いもした。
林檎の実は寒冷地ほどではないものの赤く色づいており林檎の良いにおいが漂っていた。林檎狩りに来たのではないのでつまんで食べることは出来なかったが、終了後おじさんに木になっている林檎をいくつかもいでもらい、昔ながらと言うか柿を取って食べるときのように、ズボンに擦りつけて拭きかじりついた。採れたての新鮮な林檎はみもしっかりしていてとても美味しかった。
来年花の季節になったら再び林檎畑を描きに行こうと思っている。

最近は秋らしからぬ温かさが続いているが、日が陰るとやはり冷え込みを感じる。秋来ぬと・という詩のように。

2011年10月22日土曜日

企画

画商の人と自宅で打ち合わせ。同じ元理系同士だからか理科の話ではないが本筋から外れた話になっていくことが多い。
今後の企画や、来年の展示スケジュールなど出来るだけ早めに見通しを立てていきやって行きたい。勿論良いことその他を含め想定外のも起るだろうが、「兎に角なんでも」から「兎に角しっかり」としたモノを作って行こうとここの所考えている。

2011年10月16日日曜日

京都

京都に居る兄夫婦の家へ遊びに行った。ちょっとした街並みや通りがやはり東京とは異なっていて「いつもと違う所に来たなと」言う事を感じる。食べ物も出汁や風味を楽しむ物が多くおばんざい(お惣菜)屋などでは京都の味が多く楽しめる。

今年は「何周年」と言うお寺が多く、自分たちが立ち寄った知恩院でも「法然上人800回大遠忌」なるものが行われていた。浄土宗の者としてこの日に来たわけではないのだが、広い大殿内に木魚が百以上も並べられ、皆で叩いている姿は壮観であった。先頭でおおきな木魚を叩くお寺の人がいて、それに合わせ皆が叩いている。音は時間ごとに皆で大きくバラバラに分散したり、全く同時に鳴らせていたりして、「ゆらぎ」がありずっと聴いていると面白かったのと同時に、何か世の中と照らし合わせて考えさせられるものもあった。
自分たちも叩けると言う事で参加させてもらった。しかし息子にも少し叩かせようと”ハチ”を持たせた所、発狂したように木魚その他を乱れ打ちしてしまい、あえなくその場を退散となった。息子にはまだ「世の中」というものが無いようだ。

嵐山の渡月橋から見た山の写真。前日までの雨で水かさが幾分増していた。
暖かい秋晴れの日であった。


2011年10月7日金曜日

カルシウム



妻の実家と自分の実家側から送ってもらった荷物が同日に届いた。そしてその中の一つには両方とも「小魚ピーナツ」があった。子を持つ母親はカルシウムを摂る事が大切ということをどちらの親も思ってくれているのだなと感じた。
その甲斐あってか、息子も足腰が丈夫である。

2011年9月19日月曜日

早くも8カ月

8か月をすでに過ぎたわが息子は日に日にその性格をあらわにしている。これは絶対に男だと言うようなやんちゃぶり。まさか自分が小さいときもこんなのだったのだろうかと考える。



今寝ながら「へへっ」と笑った。

個展案内

一度に沢山更新。
先ずは個展案内。今年イタリアで取材してきた作品をメインに展示します。
会期中は出席しています。

2011年9月15日木曜日

新しい音を聴く

自分の絵画を習った三嶋先生より、良質の真空管アンプとスピーカー、その他ケーブル等を安く譲っていただいた。機器をここで詳しく書くと長くなるのでやめておくが、これまで一般的なオーディオで聞いていた曲が全く別のものになり驚いた。屋内で描いているときは音楽を聴いていることが多く、耳から入ってくる音は絵に結構影響がある。音の内容(曲)はもちろん、その音質は聴いてみると作り手のこだわりがはっきりと感じられる。絵と同じで実物に触れてみないと伝えることは出来ないもの。
この世界は深いようで、今の自分には手が出せないような代物が沢山ある。気をつけたい。

2011年9月12日月曜日

長野へ


長野県木島平村にある牧場兼キャンプ場の様な所へ行った。標高1500メートルと言うことで、朝晩は冷え込んだ。持っていったテントはチェック不足でなんとポールが入っておらず、設営することが出来なかったので、キャンプ場にある「常設テント」を借りることになった。自衛隊も使うタイプのテント(色は違う)らしく1つ30万円とのこと。お陰で中で凍えることがなかった。時期が少し外れていたので初日他のキャンパーは全くおらず、自分だけだった。夜になると施設の人も山の下ここから10㎞降りた町へ帰ってしまうので山奥に当に一人取り残される形となってしまった。夜になると何だか分からない動物がしきりに森の中で吠えていた。熊も出るらしい。
素晴らしい景色が見れるが、自然の中に人間がお邪魔しているような場所なので色々と気をつけないことがあった。特に参ったのは、清流のあるところに棲む蚋(ブヨ)と言う虫。これに噛まれると大変腫れて痒くなり、1、2週間は腫れが引かない。油断していて3、4か所やられてしまった。天敵はトンボ。

2011年8月30日火曜日

再び野川へ

小金井市に引っ越しても調布~小金井を流れる野川へは行けるので、本日はその一つ「武蔵の公園」にて制作。
湿度がそれほど高くなかったので空が青く、風も絵を描くのを妨げない程度に吹いていて気持ちのいい日だった。
夏休みもあと一日と言うことで普段なら川の中をばしゃばしゃと駆け回っているような子供の姿はほとんど見られなかった。自由研究や課題を必死でやっているのだろうか。セミの合唱だけを聞きながら橋の上で描いていた。






時々やってしまうのだが、今日はパレットを持ってくるのを忘れてしまった為、絵を持ち運ぶ際保護するために挟むための板をパレット代わりとして描いていた。出かける前に確認するのを今日は忘れていた。

2011年8月20日土曜日

更新 

ガスボンベをひと月以上ずっと掲載していた。
出来事は覚えていても細かい部分は忘れてしまっているので書くならばやはり最近のことになる。



昨日は家族で長野に行った。この日は自宅の東京地域でも涼しかったようで、あまり気温では得した気にはならなかったが、山の上などで18℃と冬並みの涼しさを味わうことができた。上は安曇野大王わさび農場の写真。朝のNHK番組効果で道路はここに向かう車で渋滞となっていた。

行程の内の一つ、ここへいってみようかと現地で決めて訪れたのは、戸隠民俗館と戸隠流忍法資料館。一時(3,4歳くらい)忍者に夢中だった事もあり、見てみようと思った。地域の民俗資料なども同時に展示されていたりしていた。他、迷路のような忍者屋敷などもあり子供も楽しめる。好きならば大人でも楽しめると思う。

司馬遼太郎の「梟の城」は忍者の話であるが、展示されている道具を実際見てみると、目的を遂行するための様々な工夫がされた道具類に関心する。絵を描くことも自分が一番無駄なく描けるように道具を工夫するので興味深かった。道具というものは既製品から使っていくうちに次第に自分向けに工夫されていくものだと思った。













2011年7月8日金曜日

その後

帰国直後、蒸し暑さとそのための扇風機により風邪をひいてしまった。疲れが出たのかとも思う。現在は元通りになっている。

先日ホームセンターへ買い出しに行くと、イタリアで売っていたキャンプ用のガスコンロのボンベが日本でも売っていた。旅ではとても利用していた。上につける着火機材を現地で購入し持ち帰っていて、またヨーロッパに行くときは使おうとしていたが、日本でも使える事が分かった。但し値段は日本が一本450円に対して、イタリアのスーパーでは1,5ユーロ(180円前後)と日本では高い。見るとフランスで充填していると書いてある。後ほど調べると最近では日本で売っている店は最近少ないらしい。
自分は上の着火機だけ持っていれば日本でもヨーロッパでも使えるので良いと思っている。ガスボンベは飛行機で持っていく事が出来ない。



帰国後既に数日経っているけれど、日本の蒸し暑さは格別だと感じている。何か肌の上全体にしっとりとした膜の様な何かで包まれているような感じの暑さで攻めてくる。しかし、緑の多い住宅地や公園を通ると2,3度は涼しいのではないかと思う。

2011年6月28日火曜日

ロシア












初めて入る国。入国にはビザが必要な位なので、観光に力を入れていると言う感じは余り無かった。これまでの欧米諸国とはまた違った雰囲気のある国。
宿泊する宿へ中々辿り着けず、道ゆく人々に尋ねると、皆快く親切に説明してくれたのは印象的。時には、持っている携帯電話iphoneの地図で探してくれたりもしてくれた。
ロシア語は言葉も、文字もアルファベットでは無いので解らない。街中ではキリル文字しか無いので、地下鉄など乗る時は毎回ガイドブックを壁際で見てどうにか目的地へ辿り着いていた。

美術館は、プーシキン美術館のヨーロッパコレクションと、トレチャコフ美術館本館へ行った。プーシキンはコローの絵など多くあったが、それ程良いものは無い印象だった。
トレチャコフ美術館はロシア作家の絵。何故世界でそれ程有名にならないのだろうと思う程良い作品が多くあった。ロシア作家の描く自然風景の光の具合が、実際モスクワを歩いて見た景色から確かに納得出来た。
最後の締めとして良いものを見て勉強出来たので良かった。

ボルシチが美味しかった。

2011年6月26日日曜日

出国前

借りていた車を返却。総走行距離は約1500kmだった。大体一日60km走っていた事になる。この国の道路状況と運転事情は日本のそれとは大きく違い、安全は自分で保てと言う自己責任的である。見通しが悪かったり、道路が悪いのは当たり前なのだからそれを判断して自分で気をつけなさいと言う様な感じがある。車もオートマチックでは無く、皆マニュアル車で、これまで信号機を見た事が一度しか無い。大体交差点はラウンダバウト式。
全てがシステム化されて、安全を提供し続ける日本とは感覚が異なり、何処か危機感に対する感覚が研ぎ澄まされてくる様でもあった。
絵は、幾つかの発見もする事が出来た。

これより経由地モスクワへ行き二日間滞在後日本に戻る。

2011年6月19日日曜日

近況写真







ニ枚目は前回個展の案内ハガキの絵のモデルとなった場所。

2011年6月16日木曜日

先日

ウンブリアからトスカーナのキャンチャーノテルメと言う街に入ると、後方にカルビニエーリ(警察)の車が入って来た。これはスピードを控えて安全運転だと走っていた所、暫くすると追い越しをされてしまった。
街中でパトカーに追い越しされるとはさすがイタリアだなと思った。警官で無くともここの国では追いつけ追い越せのとてもスポーティーな走りが繰り広げられている。もちろんゆっくり走っている車もある。フィアットの「パンダ」やパタパタ言う音をさせて走る小型三輪トラックなど、この車には農家のお爺さんなどがセットのようになって乗っていてとても様になっている。イタリアの一つの景色とも言えると思う。

只今トスカーナの地域を周っている。

2011年6月12日日曜日

天気

気まぐれな天気。晴れたと思うと雲が出て来て時には雷雨。そしてまた晴れ。地元の人に訊くと、この季節にこれだけ雨なのは珍しいと言う。しかし、この言葉昨年か一昨年にも聞いた気がする。
途中車のトラブルなどがあり、絵の方は思ったより描けなかった。
車の方は元通り気を引き締めて運転中。
キャンプサイトでは、オーナーの人に大変世話になった。
明日よりトスカーナ地方に移動。あちらは比較的乾燥している地域なのでここ程雨はないと思う。

写真







2011年6月4日土曜日

4日目

午後よりにわか雨。傘をさして描いていたが、それでは間に合わず車内に退散。車の中に入り込んでいた虫と雨宿り。宿泊地から遠かったので干していた洗濯物はぬれてしまった。近くに湖はあるからだろうか、積乱雲が発生しやすい。

先日の朝描いていた時に、犬の散歩をしていた人に話しかけられ、英語ができたので知り合いになった。夫婦でローマから友人の家に休暇で来ているということ。
コーヒー飲みに来ないかと誘われたので、今日制作の合間にその家にお邪魔した。お互い上手ではない英語だが色々な話をした。
言葉はどちらかがとても上手だと安心して話しにくかったりするもので、話せないけれどまあ伝わるからいいではないか、と言う位同士だと良いペースで会話がしやすい。もちろん上手にならなくてもいいと言う事ではない。
やはり日本の地震津波、原発事故は関心があり、そのことについても会話に昇った。奥さんは一度日本に来たことがあるとのことで関心があるらしい。
休みの日にこんな場所で過ごせるのはとても羨ましいなと思った。

写真の転送が上手くいかないので、まだ掲載できないでいる。

2011年6月3日金曜日

到着後

モスクワを経由し、ローマに到着。その日は市内の宿に泊まり、翌日街の画材店を訪ねたが閉まっていた。下調べした情報では「開いている」と書いてあったのだが駄目だった。
そこへ向う途中、警備が至る所にしかれていた。道はバリケードされたり途中封鎖されておて、ある場所へ行くと人々が集まっており警備も一層多くなっていた。
行きたい方角への道路が封鎖されていたので暫く足止めされていると、目の前をパトカーで先導された黒塗りの車が通った。ローマ法王か?と思ったが、近くの人に訊くと元首の「ジョルジュナポリ」とのこと。何とも厳重であった。
元首ではないが、イタリアの首相は一度就くと中々退かない。昨今の日本のそれとは反対。

その日のうちにウンブリア地方に移動する予定間ので諦めてレンタカーオフィスへ行き、予約した車を借りた。途中道を何度か間違えたが、それによっていい景色も発見できた。
無事到着し現在滞在2日目。

2011年6月1日水曜日

出発



5月後半は準備に追われあっという間に出発の日。
やはり家族と暫くの間会えなくなるのはさみしくもある。反面、全てから離れて制作するぞという気持ちもある。
子供は一月一月の成長が目に見えるので、来月見た時は変わっているのだろうな、と思っている。忘れられていなければいい。

今回もローマから入り、ウンブリア、トスカーナ近辺を回る予定。殆ど田舎なのでキャンプ場泊の日が多め。

2011年5月23日月曜日

近況など

東京大丸の個展も終了し、その後色々な手続き的な事を多く行っている。一週間以上絵を描いていないのは珍しいことで、そろそろ描きたくなってきた。

写真は先日両親と家族で行った浅間山牧場。緑が覆い茂ったら、また更に良い景色になると思う。

2011年5月10日火曜日

ロシア領事館

 
今日は、台風が来る前のようで蒸し暑く、午後はザワザワとする空気だった。

六本木のロシア領事館へビザをもらうために行った。歩いていると汗が出てくる暑さ。
なぜロシアかというのは、来月イタリアへ再び行く予定で、乗り継ぎの時にモスクワを経由するので数日滞在しようと考えたため。ロシア入国はビザが必要。
自分でやると手続きは手間だが、芸術・美術が豊富にある国なので、短い滞在でもプーシキン美術館トレチャコフ美術館などには行ってみる価値があると思った。

領事館表通りには警察官が20メートルおきに立っていた。
狭い入り口を入り、ビザ関係の受け付け室へ行く。中は広くはなかったが、自分を含めてロシアへ渡航する為に来た人が沢山おり、整理券を取って待つというシステムになっていた。整理券の機械は36番と表示されていたが、券の紙が出ておらず調べていると、隣に居たロシア人らしい若い女性の人にすっと「82」と手書きで書かれた整理券を渡された。
どれくらい待てばいいのか、ここは日本でありながら日本ではないと思ったので、普段なら外に出て時間を潰したりしようと思うが、飛ばされたり、時間で受け付け終了などされたりすると面倒なので念のため待つことにした。
かなり待つことになったが、やはり、実際に手続きを行った人は番号ほどおらず、次々と自分の番号に近づいて行った。60番代などは機械の故障かで一人もいなかった。

手続きは分厚いガラス越しに居る、日本語の話せる若い青年のロシア人係員に書類を渡し、引換券を貰って終りであった。二週間後に渡されるので再び行くことになる。

どう言う国なのか、過去のロシア作家が描いた様な西ヨーロッパとはまた違ったイメージを持ってはいるけれど、実際はどうなのか見てみたい。


明日は個展初日である。

2011年4月24日日曜日

清明の頃








先日の雨の後、外は風が穏やかで明るく爽やかな、「これこそ行楽日和の見本」といえる様な天気となった。外で描くことも比較的やりやすい。人は多く、「ここならだれも来ないだろう」と思って描き始めた場所でも、なぜか通行者が現れてくるほど。






2011年4月7日木曜日

四月

その後色々な出来事が起こり、それら多くのことに対して、多くの考えが起こってもいるけれど、まだ出来事も考えも進行中である。

そんな中ではあるが外は桜が咲き、草木は新緑を見せ始めて、自分の子供は意味のない言葉をしきりに発し始めた。

次回の個展は再び東京駅の大丸で開催します。

2011年3月10日木曜日

近況

近況
仙台から、次は巡回展で東京品川の画廊にて個展開催。
今回はデパートではない巨匠から若手作家まで展示している絵画専門のビルで行っている個展。

http://www.s-art-web.com/exhibition.html

このところ制作や個展などで目まぐるしく状況が変わってきている。絵を描いているとひと月があっという間に過ぎて行ってしまう感じ。気がつけば冬もそろそろ終わりそうである。早いことに子供もすでに3カ月となった。

昔背中に背負って外で絵を描けるかなと言う変なイメージを描いていたけれど、実際今背負いながらこの記事を書いていると、重たくて絵を描くのは難しそうであると感じる。



最近描いた作品。






先日は東京にもしっかり雪が降って、改めて白い雪だるまを作れたようだ。だるまも嬉しそう。





2011年2月24日木曜日

松島

(更新していなかった以前の記事)








仙台から電車で40分ほど、松島へ。

幸運にも天候に恵まれ、終日ほぼ快晴の中、松島の景色を日の出から描くことが出来た。
朝は氷点下まで気温が下がっていたが、張り切って用意した雪用の防寒服やカイロなどのお陰でしのぐ事が出来た。ただ、観光地なので多くの観光客の間を山から下りてきたような普通以上の厚着で歩いている姿は目立っていたかもしれない。

松島は牡蠣がシーズンと言うことで、旅館でも色々な料理で食べさせてもらった。妻の実家広島も牡蠣が有名で、「宮島」も日本三景のひとつ。どちらの牡蠣も美味しかった。
但し、自分は生牡蠣がどうしても食べられないが、それ意外の料理なら好き。妻は牡蠣自体苦手とのこと。

この後、潮が引いてきて、潮干狩りの人たちが沢山やってきた。

砂浜では、イーゼルの足が沈むので、そこらに落ちている「牡蠣の殻」を敷いた。

2011年2月20日日曜日

仙台へ



最高時速300㎞新しい新幹線車両「はやぶさ」を横目に反対ホームに停車している「やまびこ」にて仙台へ。

東北仙台はさぞかし寒いので個展後は雪景色を描こうと用意してきた。
車窓から次第に雪景色になって行くのを楽しみに眺めながら、車両は次第に北へ向かっていった。福島県を過ぎた辺りではまだ雪は見られなかったが、この先に行けばきっと凄いのだろうと思いながら電車は宮城県へ。
しかし、景色は変わらずに仙台へ到着してしまった。下調べ不足であった。
こちらは東京の少し寒い日と同じ位。会場担当の方に聞くと、先日ちらっと積もった位とのこと。それなら東京もなのだけどなあと思ってしまった。

こちらには会期を含め四泊の予定。その間に降ってくれたらいいなと考えている。

2011年2月13日日曜日

土だるま

まだ寒さは残るが、先日の雪はすでに北側の屋根の上や日陰を残してほとんど無くなってきた。

雪が積もれば空き地には雪だるまが発生するのは今も昔も同じこと。
日中、子供を連れて近所にある小金井公園を散歩したところ、至る所に雪だるまの残骸が見られた。あれだけしか積もらなかった雪でどうやってこんなに作れたのか。子供たちの努力が目に浮かぶ。
関東地方のめったに降らない雪を惜しむかのように、少ない雪をせっせとかき集めて作ったのだろう。昔の自分もそうだった。

とはいってもやはりこの程度の積もり方では雪を転がせば地面の土などもついてきてしまう。
残っていたのは白い「雪だるま」ではなく、地面と同化している様な、迷彩の「土だるま」であった。


2011年2月10日木曜日

サンプル

今日CDサンプルを届けてもらった。




音楽に関してうまく説明できないが、曲は「うたっている」と言う感じのする良いものだった。
どの曲もそれぞれ個性があり新しい感覚。例えば3番目の「カントリーロード」などは、映画の挿入歌の時より、大人になって車に乗りながら歌っていると言うような感じがした。

ダウンロードする音楽が割合を占めつつあるけれど、やはり自分の絵のあるCDをパソコンの画面では無く、実際見て聴いてもらいたいなと思った。

寝ること

フクロウは敵を警戒するために目を片目ずつ一定時間交互につぶって眠っているらしい。

家の息子(二ケ月)は今日なかなか寝付かなかった。
抱かれている間も寝たらベッドに置かれて一人にされるのを警戒してか、眠くても目を完全に閉じず片目を薄目にしながら確認しているようであった。
新生児は夜行性らしい。今は「乳幼児」だが。



即席のあやし道具。危ないし何か厭だということで妻に却下された。
体裁に拘っていてはいけない。


2011年2月1日火曜日

CDジャケット

正式に発表をされていなかったので、未だこちらの記事にも描いていたものを載せていなかったけれど、昨年末はCDのジャケットにする為の作品を描いていた。
自分が昔働いていたジブリ美術館の繋がりで、シンガーソングライターの竹仲絵里さんが出すジブリのカバーアルバム「記憶の森のジブリ」。



まだ現物を手にしてはいないが完成が楽しみである。この作品を描くときに雰囲気の参考にと、その時聴けた数曲を聴かせてもらったところ、とても良い歌だったので完成した他の曲も聴いてみたいと思っている。

今回の絵は12cmのCDジャケットの表紙に使われる。だからと言ってその大きさに描くことは、特に人物はある程度の大きさが無いと描けないので実際は40号(100x80cm)のキャンバスに描いた。

ジャケットのほかに絵の上の部分を歌詞カードにも使ってもらっているので、中のカードでは絵の全体を見る事ができる。

2011年1月17日月曜日

個展に向けて

最近は晴れていても寒い。一ヶ月を過ぎた自分の息子も、防寒のため服やら毛布やらでぐるぐる巻きにされている。
最近は笑うようになった。


次の個展は東北地方、仙台。それに向けて作品をあと数点仕上げようとしている所。
室内での製作の場合は、以前描いた小さいサイズの絵を元に大きくし、構図や配置、色などを変えつつ作っていく。一度訪れて描いた事のある場所は、その場の雰囲気や周りの景色まで覚えているので描いていてもそのときの記憶が戻ってくる。
写真も参考にしているが、大切なのは写真の色や細部の描写を克明に移してしまわないこと。
そうなると、絵は「硬く」なって持っている元の雰囲気が失われてしまうことが多い。この理屈については長い話になる。ある写真家の記事にもそれに関する説明があった。(サイト:市村勲の写真論と世界の写真家)

下は元の絵と、これから仕上げていく作品。完成作は次の個展にて。

2011年1月4日火曜日

明けましておめでとうございます。

昨年は色々と自分とその周りの状況が変わっていった。今年も変化は進んで行きそうである。変わらないのは絵を描く事。
年はじめには「今年は~」と決意をするけれど、「今年は」と言うより、今週までに、や今月までに、今年中までに、と言った具体的なものに自然となって来た。
大体自分は、自慢ではないが夏休みの予定表などの曖昧な目標のたぐいは、完遂したことが殆どない。

日本の大学を辞めて絵を始めようと決めてから今年で10年。周りの協力もあり運よく絵を続けられていると思う。
今年は家族も一人増えたので、仕事の仕方も工夫しようと思っている。