2010年12月25日土曜日

年の瀬

年内に仕上げる作品があり、打ち合わせつつ進めていっている。今回の作品は印刷物になるので、縮小されたときのイメージを考慮する必要がある。
今締め切りを延ばしてもらっている状況。今年中に最後まで完成度を出来るだけ上げたいと思う。

こう言う時はサンタクロースにドラえもんの時間をゆっくりにしてもらえる道具(時門)をだしてもらいたいと思うのだが、そんなものは無いのでやるしかない。

赤いフリースの服を着て制作中。特にクリスマスと関係ないが。

2010年12月7日火曜日

誕生

予定日より13日遅れで昨日、妻の三日間の長い陣痛の末、ようやく男の子が誕生した。
自分も立ち会い、その状況をよくよく体験した。その様子をすべて書くととても長い話になるので省略。
早速産まれてきた子を抱いてみた所、どうも子供の頃の自分の顔そのもののようで、不思議な感覚だった。

予定よりはるかに長かったので、広島の妻の自宅にも長く居候させてもらってしまった。
持ってきた20号と12号の作品もほぼ仕上がってしまい、まだ締め切りのある作品はあるのだけれど、道具がこちらにないので何も出来なくなっていた。
妻の退院後、東京の自宅に戻り制作を続けることになる。

なので、子供との再会は二人が戻ってくる来年の一月ということになる。それまで再び独り暮らし。
しかし、先月の独り暮らしとは違った気持ちになるのだろうなと思う。家はきれいにしておこうと思う。




2010年11月29日月曜日

広島




その後全く音沙汰無くしていたので、近況を伝える為更新。
現在、妻の里帰り出産の立ち会いの為広島へ来ている。未だ生まれてないのでこちらでも場所を借りて日々絵の制作をしている。自分の特技は何処でも寝れることと絵を描ける事だと思う。
また、自転車を借りて近くの景色を描きに出かけることもしている。広島は今モミジが綺麗に色づいている。山と海が同時に見られるのは自分にとっては珍しいと思った。宮島や尾道なども足をのばせば行ける場所なのだけれども、今回は余り遠出はしないようにしている。
思ったより遅れているので居候生活が長引いてしまっている。妻も友人からのメールがふえてきたと言っている。こればかりは誰にも(医師にも)予想はつかないものだ。心配してもらえるのも嬉しいこと。

2010年11月9日火曜日

近況

その後、パソコンの不具合に何度も襲われ、再び通常通り使えるようになった。
年の瀬が近づいて来てここの所急に仕事が増えてきた。と言うよりそれまでコンスタントに仕事を終えてこなかった「つけ」が回って来たからかもしれない。
年明けまで一人暮らしの予定だが、作業詰めになりそう。
因みに、今月自分は30になる。「30になったその日に自分は何をしていたかによってその後の人生の姿が分かる」と糸井重里は言っていたのは面白いと思う。

2010年10月25日月曜日

再開

紆余曲折を経て家とホームページの引越し完了。

新しい家も荷物が片付き落ち着いた。妻が出産のため里帰り中なので家には自分ひとりである。よって引越し後の荷物の配置は自分の思い通りにやったわけであるが、あまりに自分の使い勝手の良いようにしてあるので戻ってきてから「やり直し」となるかもしれない。

一人暮らしはカレーに限ると言うことで、カレーを大量に作って冷凍し食べている。以前の一人暮らし時代の生活の知恵と言うかしのぎ方で過ごしている。

2010年10月15日金曜日

二日前

荷物がほぼまとまって引越して来た当初の姿が見えてきた。
絵を描く部屋は、気をつけていても意外なところに赤や青、黄色など様々な色が付いているので、見つけて取るのにひと苦労。そしてそこで意外と役に立ったのは「重曹」だった。中学の理科の実験で「重曹(炭酸水素ナトリウム)」を加熱して「炭酸ナトリウム」になるということか、昔母親が田舎からもらったワラビのあく抜きをするために買いに行かされたものだった位で、こんなので落ちるのかと侮っていたところ、あらゆるところに使えよく落ちることを知って驚いた。


絵画制作の方はぎりぎりまで行なおうと、最後は道具が少なくて済む下描きで終えようとしていたけれど、荷造り掃除で思いのほか時間がかかってしまい部屋には詰まれたダンボールの間に一箇所だけ元通りの絵を描くスペースが残っている。引っ越してからもスムーズに作業に入れるよう少しだけでも手をつけておきたい。


転居に伴いホームページアドレスを移設することに。このブログはこのまま変わらず、ホームページ側のアドレスが変わる予定。今月末には元のサイトが無くなって新しいほうにし、その間元のサイトから新しいページへは自動移れるようにできればいいと思っているがまだ手をつけていない。

2010年10月7日木曜日

引越しをすること

引越しをすることになり、小金井市に移る。最近はその準備と制作とでいつの間にか8月が終わり、9月が過ぎて10月になっていた。現在の住まいは2年そこそこしか住んでいないが、荷物が思った以上に増えていた。そこで妻と捨てる捨てないのせめぎ合い。静物画用のモチーフなどは造詣のない人にはごみにしか見えないのだろう。しかし、それ以外でも、何でこんなに不要なものを溜め込んでいたのか、改めて見るとおかしくなってきてしまうものもあった。この様子では10年や20年も住んだら引越し準備は相当難航するのだろうなあと思った。
そして、家具など新しく購入するものなどもあり、あちらこちら時間をみては探しに行ったりもしていた。特に二人の意見が拮抗するカーテン選びは子供の名前付けと同じ様に中々決まらないもの。

2010年9月23日木曜日

府中市美術館



先日東府中へ行く用事があったとき、丁度市の美術館で「バルビゾンからの贈りもの」という絵画展をやっていたので妻とついでに見に行った。
美術館はきれいで上野にある国立西洋美術館と同じくらいの広さがあった。府中市は競馬場や競艇場などがあるため予算があるのだろうと思った。帰りのホームで、競馬新聞を片手に電車を待つ勝負師の(敗れた)人達によってこうした施設が作られていくのか、と考えていた。

話を戻して、展示内容は所々にミレーやルノワールのなど風景があり、同時に日本人の当時の風景油彩が多く展示されていた。今の風景画家よりしっかりとした作品を描いていると思った。もちろん現在とその時代の絵描きの状況は全く違うと思うけれど、現在では殆ど失われている当時の西洋から受けた画風といえる様なものが感じられた。


日本の作家と、西洋の作家の作品が並べられて展示されているのを見たとき、その違いがあるということにも気づき面白かった。絵の表現は「言語」と同じような物だとおもった。それぞれの国や地域文化でイントネーション、抑揚やリズムが違うように絵もそれぞれで異なってくる。それがとても感じられた。
展示は11月23日まで。

2010年9月11日土曜日

更新(長野展終了)

あっと言う間に長野での展示が終わり、現在他の作品を制作している。すでに先週より秋らしくなってきた。台風が秋の空気を運んできてくれたようす。

先週の土曜日曜、東京より新幹線で長野の会場へ向かった。現地はその頃の東京と大して変わらない位暑かった。初めて来た土地での個展とあってどうなるのだろうかと思っていたが、見に来てくれた人達には良い感想を貰えた。




2日目は早起きし、善光寺を見に行った。長野駅前の表参道から2km。朝は涼しく都市でも山の空気の匂いがしていた。善光寺と言う名の寺は日本各地にあるようだが、ここが大元と言うことらしい。確かに思った以上にスケールが大きかったので驚いた。朝からすでに観光客や参拝者が多く訪れていた。

隣にある東山魁夷館も見に行ったが、こちらは少し拍子抜けした感じがあった。作品数が思ったほど多くなく、日本画なので展示をずっと出来ないということで、幾つかは印刷されたものが展示されていた。

2010年9月1日水曜日

ながの東急展

明日より長野県「ながの東急」での個展が始まる。松本には以前の個展で行ったことがあるが、長野は初めて。
今回の出席は時間の理由などから土日のみということにした。4日朝出発し、長野に入り翌日夕方戻るという急ぎのスケジュール。
東京、特に自分のアトリエより長野は気温が低いと思うので、連日の猛暑でやられ気味の頭を冷ましてこようと思う。







2010年8月19日木曜日

川辺

最近は猛暑。しかしエアコンをつけて室内で描いているより外で描いている方が自分は意外と過ごしやすい。野川では流れに足をつけながら制作。
途中筆を流されてしまい取ろうとしたところ、さらにサンダルまで流されてしまい。ひとり慌てていた。

下は夕暮れ時の橋からの眺め。

最近は暑さからか「水辺」の風景を多く描いている。




2010年8月11日水曜日

夏の野川

晴れている日は、暑いけれど屋外へ風景を描きに出かける。東八道路と野川が交差する辺りに、湧き水が小さな流れになって川に流れ込む場所がある。ここは描くのに良い場所だが、同時に子供たちにとって格好の遊び場でもある。日中ともなると多くの親子連れがその水辺で遊ぶためにわんさと溢れ景色は一変する。
早ければ誰も居ないので朝一番のりで描いていたが、やはり九時近くになると何処からとも無くちらほらと現れはじめ、あっという間に水辺は親子供で一杯になった。
見るからにヤンチャそうな男の子三人組は、石の下に居る生物を見つけるために、描いていた目の前にあるおおきな石を三人でせっせと力を合わせてひっくり返した。彼らの努力で、描いていたその石は場所が変わってしまった。

その日は太陽の位置も変わってきたので退散。また別な日に再び戻って、石を元に戻してやろうと思っていたが、現場の石達は更にそれぞれ収拾がつかないほどに移動されていた。子供もまた自然の一つということで直接絵の具の蓋を開けらたりしない限り文句は言えない。

2010年8月7日土曜日

御岳山












妻の誕生日もかねて、奥多摩方面の「御岳山」にある宿に一泊。
標高は900mほどあるが、JR御岳駅から降りてバス、ケーブルカーを乗り継ぐ事で「山登り」という感じでなくても辿り着く事ができる。奥のハイキングコースを歩くのであればそれなりの格好が必要。
都心は連日30℃以上だが、ここは最高気温26℃と涼しく居心地がよかった。


帰りに見つけたナナフシ。ここには沢山いた。捕まえると、手のひらでゆらゆら風に吹かれる枝のような動きをしてやり過ごそうとしていた。

2010年7月26日月曜日

賑やかな空

ここ最近は夜空に色々な表情がある。
先日は調布市の花火大会があり、今日は雷がよく見えた。

 

 






こちらは、7月11日の7時半頃に見た光る雲。下の雲に隠れて見えなくなるまでずっと光っていた。遠くのスタジアムの照明に照らされて光る雲にしては明るすぎるし規模も大きすぎる。このようなものは初めて見た。夜光雲というものだろうか。




2010年7月16日金曜日

個展の様子


梅雨明けの様に、会期中は晴れに恵まれている。
今回は新しく出来たアート展示スペースでの個展。これまでのデパートのような奥まった作りにはなっておらず入り口が三箇所あり開放的。油断しているといつの間にか背後からスッと人が現れる。

隣には名前は忘れたが、京都とここだけにしかない喫茶店があり、抹茶のパフェと言うものが有名らしい。時々行列が出来ている。

昼食は妻に弁当を作ってもらったのだが、食べる場所が見当たらず、担当の人に相談したところ社員用の食堂を案内してもらった。デパートの裏方を覗いたようで少し面白かった。地下の生鮮食品売り場から十数階までの売り場の人達まで、表に出ていない人だけでもこんなに多くの人がいるのかと驚いた。
自分は客側でも店員と言う訳でもないので皆つけている名札もしておらず、どうもそこに居るのは変な気分であった。

2010年7月13日火曜日

HP更新

ホームページ内の絵を追加。写真は自分で撮ったものなので色が上手にどうしても出せない。
実物は今回の個展で展示。

昼過ぎに絵の受け渡しを終えてひとまず肩の荷が下りた。部屋に溜まった絵をすべて出したときには良い開放感がある。だだしこれは一日と持たない。夕方過ぎまで寝たため、久しぶりに出た夕日を逃してしまった。夢うつつに外から「夕日きれい・」という声が聞こえていたが起きることが出来なかった。

2010年7月7日水曜日

東京大丸展(来週)

東京大丸展(来週)
早くも来週から東京大丸百貨店で展示が始まる。今回はほぼ先月イタリアで描いた新作。

会場:東京駅ビル10Fアートギャラリー
期間:7月14日(水)~20日(火) ※最終日は午後5時閉場


「イタリアの~」と言うコピーだけど、掲載写真は近くの野川をモデルにした作品。

2010年7月6日火曜日

正確に描く事と早く描く事

 
イタリアでの授業でインストラクターMarc Dalessioがそのことについて口にしていた。
一見正反対に思えるが、実際は正確に描けなければ時間が多くかかってしまい、自分の手が頭で描いているイメージに一致したものを描ければ、早くなる。
なので、現在や昔の作家でも上手な画家ほど、良い作品を驚くほどの早さで描き上げる人が多い。早く雑に描くのは簡単だけれど、早いのに丁寧に描くのはことのほか難しい。経験と技術を磨いて出来るものなのだと思う。
ただ早く描くこと自体に良さがあると言えないが、時間がかかったから良いということも簡単には言えない。
自分でも、何日もかけた作品が駄目で、現場で数時間かけて描いたものがより良かったりということがよくある。

2010年6月23日水曜日

最終日~帰国

フィレンツェ空港にあるレンタカーオフィスに車を返すため、最後の滞在地サン・ジミアーノから車で50-60km程走った。その日は辺り一帯雷雨に覆われてしまい、道路も所々水溜りになるほどであった。運転は大変だったが、おかげで埃だらけだった車がきれいになった。
無事到着し車を返却。実は一度山道でタイヤをパンクさせてしまったので、スペアタイアに変えている旨を伝える。

帰りもフィレンツェ空港からパリへ乗り継ぎ日本に戻る。
パリからの便では、東大の教授の方と隣り合わせた。流体力学が専門と言うことで、風力発電や流体を使ったメディアアートのなどの話を気さくに色々聞かせてもらった。自分も一応元物理専攻であったので、美術方面に変更したとはいえ科学に興味が無くなった訳ではなかったようで、そういった話に久々に触れ楽しめた。
その方、12時間のフライト後、朝6時半に到着し、午前中からすぐに講義があるらしい。精力的である。

飛行機は成田空港に降りて行き、日本の梅雨雲の下に入っていった。窓から観察すると雲ははっきり四層ほどに分かれており、飛行機より上にある一番上の薄く覆われた雲から、二番目の厚い雲、三番目の薄い雲、四番目のモコッとして散らばった雲、そして時々地上に張り付いたようにある千切れ雲と潜り抜けていく。その頃には太陽の光はほぼ無くなり、曇りの大地(梅雨の関東地方)が見えてくる。
「梅雨雲」といっても、何層にも分かれて空は雲で覆われているのだなと分かった。これも空気の密度に関する現象だな、など多少機内での話の影響を残しつつ日本に到着。

2010年6月19日土曜日

近況

イタリアは奥地に行くと英語は全く通じなくなる。自分は英語の話す人の多い都市以外に居ることの方が多くなってきたので、イタリア語が出来ないと正に話にならない。これはまずいと痛感。少しずつ勉強中。

先日は近くの街で、以前日本でもやっていたイタリアの風景画家「マキアイオーリ」の展示をしていると言う情報を得、見に出かけた。今まで見たことの無いマキアイオーリの作品を見ることが出来てとても良かった。







この文を書いた日は本格的な雨が午前中に降った。写真のように最初は後ろのドアを開けて屋根にしながら描いていたが、それでも吹き込んできたので、車の座席から描くことにした。景色はいつ見ても同じではないのでその瞬間を逃す事は出来ない。






2010年6月14日月曜日



次の滞在地はトスカーナ州南の「オルチェ渓谷」と言うところの近くのキャンプ場。テントを張って本格的ではないがキャンプをしている。着いてすでに4日目。
レンタカーを借りて丘陵地帯を走り、描く景色を探している。
イタリアの車はマニュアルなので(といっも借りたのはフォード車だった)最初は慣れないが段々シフトチェンジは身に付いて来た。運転は日本であらかじめ予習してきたが、やはり最初は右車線走行なのに左車線を走ろうとしたりして焦っていた。
知らない土地なので注意して走るようにしている。

オルチェ渓谷一帯の景色は良すぎて逆にどこを描くべきか迷ってしまう程。ただ、丘の上に立つと風を遮るものが無いので風のあるときは描きづらい。

2010年6月9日水曜日

授業最終日







授業もすでに最終日になった。
この10日間、朝は参加自由で5時から描きに行き、その後9時から昼までと、午後4時から8時頃まで、それぞれ場所を変えて描いていた。結構密度の濃い期間だった。光の捉え方もここに来る以前より大分身に付いて来た気がする。


食事に関して、朝は軽いクロワッサンとコーヒー程度なのだが、昼と夕食にとんでもない量が出てくる。ある日の昼などは鳥の丸焼きが3羽6人の為に出て来た。皆、「これは夕食だろう。」と言っていた。最初の頃は食べていたが授業日後半になると皆段々セコンド(セカンドディッシュ)を抜いたりし始めた。
アルバニア人が宿主で彼らは大食らしい。
こちらに来て少し痩せるくらいのつもりであったのだが、逆に少し腹が出てきてしまった様な気もする。

2010年6月2日水曜日

二週目



電車でトレビ(ローマの「泉」ではない)と言うやはり小さな街に移動して授業を受けている。
アシスタントが以前フィレンツェの学校で風景画を習っていた時のインストラクターであったのはお互いに合った時驚いた。その授業を受けたのは四年前で、その年も丁度サッカーのワールドカップがあった。イタリアが優勝したため街中お祭り騒ぎで翌日ダニエラ(インストラクター)は二日酔いと寝不足で現れたのを覚えている。


最近は天気があまり安定していないものの、周辺の景色は良い。緑の多いウンブリア州とトスカーナ州の光があわさった様な場所。

食事は宿泊する場所にある小さなレストランでみんなでしている。元々英会話をマスターしていたわけではなく普段は日本語で生活をしていて殆ど英語を話していなかったため、言いたい事があるが直ぐに出てこない。このもどかしさは留学生時代に存分に経験したので今更慌ててはいないが、やはり普段から少し慣らしておかなければと思った。

2010年5月29日土曜日

ウンブリア州






昨日は曇り後雨だった。ウンブリア州の気候は日本と似ていて緑も多い。

絵は一日に多いとき四枚描いている。毎年こうして集中的に描いていると、ある時から絵がどうしても腑に落ちなくなってくる。そうなると辛いけれど解決するまで続けるしかない。6月からの授業で何か手掛かりをつかめればと思っている。



ここでは時々道や庭先でまで牛に出会い、目が合うと巨体に似合わず素早くある箇所の隙間から柵内へくぐり抜け逃げていく。
柵の中には沢山いるのだが、いつも二頭が外に出ている。飼い主が見つけると「エイヤー!」と言って柵内へ追いやる。柵の意味が無いではないかと思うのだが、出てくるのはいつも二頭だけ。外の良さを知ってしまっているようだ。



2010年5月27日木曜日

到着後








フィレンツェに到着し、直ぐに必要な物を買いに街をまわった。目的地の泊まる場所への電車の時間があるので少し急いだ。

まず画材屋へ行き日本では手に入らない画材を買い足した。そして麦わら帽子。
途中、外出以外に履くためのショートパンツを忘れていたのに気付いた。観光客以外が買うような服の店は街外れにあって遠いため、手早く買おうと辺りの土産やを覗いた。が、そこには「ダビデ像」の丁度パンツに履く部分のアップをプリントしたデザインなど、写真を掲載するのもはばかるようなもの(載せてしまった)ばかりだったので買う気になれなかった。

仕方なく買わずにフィレンツェを出て「ファブロ」に向かった。観光客は全く来ない様な小さな田舎の駅。昼間から暇そうに通りを歩いているおじさんに身振りで道を尋ねると、目的地は結構遠いようで(実際4㎞以上あった)、「10ユーロて車で連れってやる」と言う。さすが商売上手だと思ったが荷物が多くタクシーも無さそうなので頼んで乗せ行ってもらうことにした。
古いフィアットのイタリア車て出発。途中から道は舗装されてなくなった。砂煙を上げ凸凹道をガタガタ言いながら、おじさんはそれでもひたすら飛ばしていった。イタリア人は飛ばす。

そしてようやく到着。丘に囲まれた場所。自転車を借りて近くを回った所、描くところには困らなそうな程良い景色に溢れていた。農場なので牛や馬、山羊、鶏などが沢山いる。

2010年5月24日月曜日

出国



あいにくの雨の中程度のバッグ2つを持って朝早く妻に見送ってもらい家を出た。
しかしフライトは夜の10時。とある間違いで早く着きすぎてしまい長いこと空港ロビー内で待機していた。少しずつ読もうと持って来た本も殆ど読んでしまったので、空港にある本屋で買い足した。
間違えていた事を妻に伝えた所怒られた。

個展直後に慌ただしく準備をしていたため確認がおろそかになってしまっていた。次からはあまり詰めたスケジュールにしないようにしようと思う。

あと少しでやっと搭乗となる。今回も紀行文を出来たら掲載しようと思う。

2010年5月23日日曜日

会期終了

二週間の会期を終えた。
今回は普段展示しない人物も出したのでこれまでとはまた少し違う会場の雰囲気になった。



早くも明日より出発となるので準備も慌しい。現地で買えるものとこちらから持っていくもの、あまり持っていくものがありすぎても重すぎる。しかし、画材は出来るだけこちらから持っていきたいのでどうしても重たくなってしまう。
ヨーロッパ方面アイルランドの火山などでフライトが気になるところだが、ヨーロッパ方面に出かけて帰ってきた知り合いなどに聞くと大丈夫だったようだ。イギリスに居る兄は空港閉鎖で仕事が出来ないとは言っていた。
自然の出来事には文句はつけられないので落ち着いて状況を見ておこうと思う。

2010年5月21日金曜日

十一日目

二週間の長丁場も早くも残すところ今日を含め二日。
同時に出発まであと四日となった。
昨日は雨であったが、やはり見に来てくれる人がおり、ゆっくりと話をしたり聞いたりしていた。
その中で、イタリア風景画の本の情報を教えてもらい、アマゾンで早速購入した。外光で描く風景画の始まりについてなど図版も多くあると言う。

会期中は元イタリア大使夫妻や小説家、建築家など本当に色々な分野の人が訪れてくれた。






二週間もあればツバメも大きくなる(近所)。  ライトの上に巣を作っては暑いだろうと思う。

2010年5月19日水曜日

その他の話

今回は個展以外の記事。

以前日記で書いた、妻にもらい(ほしいとは言っていない)半強制的に育てることになったバラの苗木、今年はたくさんのつぼみをつけそこそこいっぱしな花も咲くようになってきた。園芸に知識があるわけではないので、アブラムシが付いたり葉が弱ってきたりするたびに調べて対処していた。隣には「雑草プランター」があり、こちらはわざと何も植えず雑草をはやしている。何が生えてくるかはお楽しみ、というものをおいていたがバラと比べ放っておいてもたくましく生えてくる。

2010年5月18日火曜日

銀座の地形(七日目)

自分は街中では方向音痴であると思う。銀座の地形は碁盤の目になっているから分かりやすそうだが、全体の建物が似通っていて通りの名前や目印になる建物を知っておかないと迷う。最近少しまじめに地図をずっと見て大体の位置関係を頭にいれた。見に来てくれた人達と一緒に食事する際、店の案内をしようとして二度迷ってしまい、かっこ悪い思いをしたからである。




銀座猫。裏路地案内なら得意そうな顔つきをしている。

今日も銀座独特の様々な人が見に来た。画廊をめぐっている常連さんと言う人には、近くでやっている物産展で買ったと言う「たこ焼きキャラメル」という物をもらい、なんともいえない味を経験した。

2010年5月17日月曜日

後半

昨日月曜は平日にもかかわらず沢山の人が見に来てくれ賑わった。
この時期は寒すぎず、暑くもまだ無いので外出し易い。
展示時間終わりに会場の絵の配置を模様替えした。家具の配置替えと一緒で、短い期間の内ながらまた新鮮な気持ちになった。初めて見る人の印象も順番が変わると多少異なるかもしれない。


ここ最近あまり動くことが無く身体がこってしまったので妻に足裏をマッサージ道具で押してもらったところ、酷く効くところがあり悲鳴に近い声をあげてしまった。

2010年5月14日金曜日

中日


今日も地下鉄銀座駅B7番出口を出て、ビルの間、縦長に切り取られた都会の青空を見ながら会場に向かう。

帰りは肌寒いが昼間は天気がいいようだ。ようだというのは、昼食時以外外に出ることはなく、ギャラリーの窓からしか外を見てないので、通り向かいのビルの壁に当たる光の色から青空か曇りか判断しているため。


五日目で丁度半分が過ぎた。気持ち的には日曜の休廊日を前後に半分ずつという感じである。
銀座の会場は、絵を描いているという人が多く、掲載記事を見て来たという方が結構いる。

2010年5月13日木曜日

四合目(四日目)

「個展は三日までが疲れる」と中学時の絵の先生が教えてくれたが、四日目でもそれ程改善せず。
特に会場内で人と話さずに居るときは、今まで描いた絵に囲まれ、ただそこに居るだけで頭を使う。それぞれの絵を見ると色々と思うところがあり、絵から「もっとこう描け」などと色々と語りかけられてくる感じがする。

今日の昼は少し贅沢をして寿司を食べた。と言ってもランチで手ごろな値段であったからだが。帝国ホテル近くの寿司屋だったので外国の人が多く、色々な言語が飛び交っている中、一人つまんでいた。隣の英語圏の人達は銀座マップ片手に行きたい場所を話し合っていた。「最近外国の人増えましたよ」と板前さん。

2010年5月12日水曜日

晴れ(三日目)

三日目でようやく天気が良くなった。
今日も多くの人が見に来てくれ、それぞれ色々な話をした。
「世界堂」で買った画材を沢山もって観に来てくれた親子(多分)の方は一枚一枚あれこれと話しながら描き方を観察していた。お話をすると本人も趣味で描いているらしく、色々描き方についての質問を受けた。
自分では普通にやっている方法も他の人には珍しいということもある。
これは自分も特にそうで、「どうやって描いているのかな」と思ったことを知ることが出来るのは、絵に対してとても興味がわいてくるものだと思う。

今日は銀座散策をあまり出来なかった。ただ、華やかな表通りに対して裏の細い路地が結構面白そうだと言うことを発見した。以前「ブラタモリ」というNHKの番組で銀座が紹介されてたのでそれを思い出した。

2010年5月11日火曜日

二日目

 
雨は降っていたのにもかかわらず知り合いや、一般の人も観に来てくれた。
自分の元仕事場の同僚でもある嫁の友達が赤ちゃんを連れて観に来てくれた。その子はイチゴが好きらしく、静物画の絵の中のイチゴを見て欲しがっていた。

会場には窓があるのでデパートの時より時間の変化が分かるが、あっという間に過ぎていく気がする。

銀座は昼食時や終わった後に少し歩き回ってみている。新しい店や、古くからある個人の店も中にはあった。ガラスケースに革靴二足だけで他全く品揃えのない、老人がやっている靴屋が一等地にあったのは不思議な風景だった。

2010年5月10日月曜日

銀座個展初日

個展初日。
直前までかかった作品を持って会場に向かった。

今回初めて銀座での個展となり、デパートの展示とは来る人の感じが少し異なっていて勝手がまだいまいち掴めていない。作品を仕上げることばかりで案内のほうまで気が回っていなかったので初日の告知をしっかりしていおらず色々会場側の人にも迷惑をかけてしまった。


会場は窓があり綺麗な所。多めの作品も収まった。
これから10日間は出来るだけ更新できるようにしたい。


2010年5月8日土曜日

個展前の近況

先日Art Renewal Center International Competitionの風景画部門(Landscape)で作品がFinalistに選ばれたとの通知があった。ページ

本日午前中銀座のギャラリーへ額を入れると畳一枚半位になる100号の絵など、大きな作品を運びに行った。空気が澄んでおり、都心からも富士山を見ることができた。
絵のほうはまだ最後の一点がありギリギリまでやることになる。個展期間が終わった後にイタリアへ行く準備もまだそれほど出来ていないので期間中にやろうと思う。色々後回しにすると最後につけが来て慌しくなるのは分かっているのだけれど、結果こうなってしまっている。

初日はパーティーと言うたいそうなものでもないが簡単な飲み物などを出してもらえる事になった。

この先、6月中旬に広島そごうで3人展の一人として参加(出席は出来ない)。戻った後は7月から東京大丸での個展となる予定。

2010年5月1日土曜日

五月

暴風、雪、夏日と忙しい四月も終わり、五月になってやっと本来の季節を思い出した様子。

今朝早く、ベランダでカタカタと物音がした。気にせず寝ていると再びカタカタと言う音。
「くわっ、くわっ」と変な鳴き声。
カーテンを開けると大きなカラスが物干し竿に止まってハンガーをくわえていた。目が合ってお互い驚いた。
どうも最近ハンガーが足りないと思っていた。最近の強風で飛んでしまったのかと思っていたがカラスの仕業だったようだ。巣作りの季節。今頃そこらの家のハンガーを頂戴して造形アート作品の様なものをこしらえているのだろうか。
最近個展前で夜更かししているので、朝早く起こされ最初はむっとしたが、面白い習性を間近でみられた。もちろん今は盗難対策済み。


最近は野川沿を菜の花を入れた構図で描いている。時々風が強くなるが、天気の日が多いので黄色が新緑によく映えている。

暖かいので猫も昼寝していた。


翌日、今度は反対岸を歩いたら、また同じ場所で寝ていた。

2010年4月27日火曜日

外廻りの日

銀座の今回個展をする会場に作品の第一陣を運んだ。
そして本日の主目的である中学校時代の担任で美術の先生の個展が同じく銀座でを行われており伺った。
午後からは与野本町に行き、友人の紹介で地元紙「アコレおおみや」の取材インタビューを受けた。さいたま市の冊子。5月号に掲載してもらう予定。ただ、自分の話はあれこれまとまりが無かったので編集も大変だと思う。

2010年4月13日火曜日

変わり目

梨木香歩の「家守綺譚(いえもりきたん)」と言う小説は、時々ページをめくると息抜きになる好きな本の一つ。季節が感じられるのがいい。

今日は暖かい一日だった。夕方になるといち早く“クビキリギス”が「ジーーーーー(鳴き声mp3)」と元気よく鳴き始めた。こういう時は外に出ると草木が活動を始めるにおいがするので好きだ。
歩いていて野川沿い電灯の脇を通ったとき、塀にはり付いているヤモリを発見。取り敢えず捕まえて持ち帰った。
「家守」というくらいだから、家を守ってくれるありがたい生き物なのだが、妻は絶叫。予想通り即退場となってしまった。よく見れば小さくておとなしいのだが、

明日はまた気温が低くなるようなので、勇み足で出てきた虫やヤモリ達もまたもとのねぐらに戻り、もう少し待つことになりそうである。
因みに「家守綺譚」はヤモリの話ではない。






2010年4月9日金曜日

銀座展

前回記事の絵を案内はがきにした。


場所:銀座一枚の繪ギャラリー
期間:5月10日(月)~22日(土) ※日曜定休
時間:11:00~19:00迄 ※最終日は17:00迄


個展後から、6月下旬まで再びイタリアへ、取材兼風景画ワークショップ参加という形にした。今回ワークショップ参加者は全員プロの作家ということで楽しみ。
ここのところ身の回りの変化が大きいので新しいリズムを作ってやらなければと感じている。

2010年3月24日水曜日

プロセス

未だ仕上がってはいないが、改めて見直すために描いていくプロセスを記録した。普通は完成の作品を見てあれこれ考えることが多いので、途中段階をみてこうしたほうがよかったなと後で見直すのもいいかも知れない。

ローアンバーでスケッチを元に明暗の下描きをしていく途中。








空と木。

そして地面へ。

画面の安定などを見て影などの形を再び修正。

これより完成へと進んでいく。

2010年3月20日土曜日

昨年の桜

昨年取材した桜の制作風景が「一枚の繪」四月号に掲載。今年の桜を描いて掲載では間に合わないので一年越しの取り組みになっている。一年前の自分の作品以降現在まで、その間絵画はに目に見えるところや考え等、色々な面で変化している。
あまり分かりやすい例えではないかもしれないが、一光年離れたところから届いた星の光を今見たと言う感じ。

2010年3月4日木曜日

だるま

息抜きに近所の深大寺へ。この日は毎年恒例の「だるま市」というものがやっていたので行った。平日であるにもかかわらず結構な人が来ていて、露店が並び、境内にはだるま屋が軒を連ねて大小のだるま達がゴロゴロしていた。天気がパッとしていないここのところだが、付近は活気があった。








一角に、目を入れ終わっただるまを納める(回収する)場所があり、いろんな人が目を入れて何かを達成しただるまをそこに納めていった。5、60cmもあるものを納めるひとは気持ちがいいものだろうなと横から眺めて思った。
ある程度の量集まると、係りの人が棒で一掃し、「ゴロゴロゴロー」と坂になっている奥へと転がっていく。面白い光景だった。

すき間から見えた「達成の溜り場」。


この日は深大寺に停まるバスが「だるま仕様」になっていた。

2010年3月2日火曜日

近況

先日ぎりぎりで締め切りのある作品をダンボールで梱包しクロネコヤマトの「翌日午前着」で送った。
三点送ったのだが、そのうち一点が新しい試みの最中の描き方ということもあって時間がかかり悩んだ。

もう出してしまったので「ああすれば良かった」と後悔しているより次の作品にその考えを反映さようと思う。
作品は実際掛けた時間より上手く画面と向き合えた(良い表現が出来た)時間の方が大切なので、良い状態のときはあっという間に全体のイメージを掴めて完成に近づけることも出来る。そうでないときはキャンバスから離れている時間が多くなっている。


引き続き次回展示案内用の作品を制作中。いいものを作りたい。

2010年2月17日水曜日

子供時代の絵

個展が終わって、先ず次へのために部屋を片付けた。不要になったものを全て捨て、新しく棚を作り、作業場のスペースを広げる。

昨日は用事のため実家へ久しぶりに戻った。そこでふと、押入れにとってある小~中学校時代の自分の絵を見て、まだ意識していない頃の自分の「画風」と言うか、何に目を多く向けていたかを見てみようとした。家の親は何でもとって置く性質なので、家は荷物でいっぱいだが、こういう時には役立つと思った。
その作品。描いている時の記憶は今でもハッキリ覚えている。

小学校4年。建物のゆがみ具合がはげしい。形より色に対して興味が深かった気がする。







小学校。「水仙」だと思う。


中学校一年と二年の写生会の時の絵。反抗期か、地上でなく空ばかり描いていた。





因みに一緒にとってあった兄の中学時代の絵。こちらはこちらで「味」のある絵を描いていると思った。