2009年7月28日火曜日

山へ

天気予報で「曇り時々雨」との事なので友人と予定していた陣場山~高尾山、そして終着ビアガーデンを今年も決行した。

昼に高尾駅で待ち合わせる。天気は雲間から太陽が出たり隠れたり。駅から更にバスで陣場高原下まで30分程揺られ、たどり着いた頃には曇り空になっていた。
そして登り始めて少し経つと雨が降り出した。どちらが雨男と言うわけではないのだが、この友人Mと行動する時はかなり高い確率で雨になる。しかし、こちらもきちんと雨の用意はしてきた。
リュックから一度も使ったことは無かったが、家にあった嫁の雨合羽を取り出し、先ず上だけを着ようと片方を出すと間違えてズボンを出してしまう。
戻して、もう一方を取るとまたズボンを出してしまった。「しまった物をまた取り出すなど不注意だった」などと思い今度は片手に今取り出したものを、そしてバックに入っている方をしっかり出す。
しかし何とこれもズボンだった。 持って来た雨具は何故か両方ズボン。仕方なく一つを頭から被り、もう一方を肩にかけて歩く。友人は普通に雨具を着ていた。
更に雨が強くなってきたので、肩にかけていた雨具ズボンを履き、大きいごみ袋に穴を開けて上着の合羽(胸に”東京都23区指定ごみ袋”のロゴマーク)とし、二枚目のズボンは被って歩く。「この格好で遭難したくは無い」と強く思った。(写真はFaceBookのタイムラインに投稿されている)

去年と同様、雨なので道中大きな蛙に多く遭う。
着く頃にようやく雨は止み、雲がかかった遠くの山の連なる景色が夕日と相まってとてもきれいに見えた。



あとは、ビアガーデン飲み放題食べ放題2時間勝負でいつもの3倍以上は食べた。5時間、18kmは結構なエネルギーを使ったようだ。

2009年7月22日水曜日

現地で気になっていたこと

「バーントシエナ」や「ローシエナ」と言う茶色の絵具がある。直訳すると「焼いたシエナ土」、「生の(そのままの)シエナ土」。シエナで絵を描いていた 時、地面の土の色がこちら関東ロームのこげ茶色と違って、明るい黄土色の特徴的な色だなと思い、これで絵具を作ってみたらいい色になるかなと気になる。そ して甲子園球児のように土をかき集めて大切に持ち帰ってきた。
家で砕いて細かくし、油その他と混ぜ、練り合わせて自家製の「ローシエナ」が出来た。色はそれなりだが、砕きが足りなかったので粒の荒めの絵具になってしまった。絵具に砂を混ぜて描くと言う描き方があるが幾分そのような感じ。
滞在中に作った「日本に戻ったらやりたいこと、やることリスト」の一つが出来た。



2009年7月18日土曜日

帰国後

以前は戻ってきた時、日本と滞在していた国とを比べてばかりで、ここがどうだ・とか色々言っていたが、今回は何故かぱっと切り替えられた。どちらが良いと か悪いとかではなく社会がそれなりに出来ていて、人々はそこでその環境に対応して生活をしているだけなのだから気にしない、でいいと思う。(帰国のローマ ではあまりに待たされ苛立っていたけれど、)
到着後迎えに来てくれた妻と帰り、家に着く前に食べた深大寺の蕎麦はかなり美味しく思えた。

これから次の個展に向けて描いてきた絵の修正やそれを元に大きい作品づくり等。海外では絵を描くことと、食べるものが重要課題で気にしていればいいが、日本ではそうも行かず色々とやる事もある。他方、良い知らせや楽しみなこともあった。

2009年7月15日水曜日

最終日




イタリアの農村風景は起伏に富んでいて遠くまで見渡せる。歩く度に新しい景色を発見できるのでつい遠くまで行ってしまう。
泊まっている所が遠いため、1日景色を求めて10km位は歩く時もある。絵の具で汚れたシャツとそれ以上に絵の具だらけの絵描き道具。市街を通る時は、綺麗な格好をした観光者たちを後目に足早に通り抜ける。裸の大将の様に気にしないでいけたら楽だと思う。
ただ描き始めてしまえば人が見ようが気にならないが。


二つ目の写真は昨年やられた触ると痛い毒草。今年もまたやられる。
葉を少し長くした青じそのような形で、主に日の当たらない場所に生えている事が分かった。
痛い。

(追記)その後の調べ分かったのだが、これはイタリアでは"Ortica”という名前で、毒草ではなく日本では「イラクサ」と言うものであった。しかもこれお茶にもされていて、花粉症に効果ある様なことも書かれており驚いた。

2009年7月13日月曜日

歩いて出会うもの




イタリアの農村風景は起伏に富んでいて遠くまで見渡せる。歩く度に新しい景色を発見できるのでつい遠くまで行ってしまう。
泊まっている所が遠いため、1日景色を求めて10km位は歩く時もある。絵の具で汚れたシャツとそれ以上に絵の具だらけの絵描き道具。市街を通る時は、綺麗な格好をした観光者たちを後目に足早に通り抜ける。裸の大将の様に気にしないでいけたら楽だと思う。
ただ描き始めてしまえば人が見ようが気にならないが。


二つ目の写真は昨年やられた触ると痛い毒草。今年もまたやられる。
葉を少し長くした青じそのような形で、主に日の当たらない場所に生えている事が分かった。
痛い。

(追記)その後の調べ分かったのだが、これはイタリアでは"Ortica”という名前で、毒草ではなく日本では「イラクサ」と言うものであった。しかもこれお茶にもされていて、花粉症に効果ある様なことも書かれており驚いた。

2009年7月6日月曜日

折り返し

フィレンツェ市街より車で30分程のキャンティと言う地域にある農家の家に泊まり2日間レクチャーを受けた。
色々な情報から離れて独りで描き続けていると、どうしても思い込んでたり見落としたりすることがあるのでそれらを確認する意味でも参加した甲斐があったと思う。

シエナには夜到着。案内所で宿泊する所へ向かう方向のバスを聞くと「No.3に乗れ」と言われる。案内所のバス時刻表は張り紙チラシの様に部屋中あちらこちらに貼られたり剥がされたりして表もバラバラ統一されておらかず、これはあまり見る気になれない。聞いた方が早い。
バス停で最終の3番のバスに乗る。
途中何やら方向が違っている気がしてきて運転手に尋ねてみると、「このバスでは無い」と言われる。「No.3のバスは3種類あるんだ」と言う。最終だったので勿論次のバスはなく、反対の方向に来てしまった。仕方無いのでタクシーをつかまえることに。
ここに来て何かイタリアに来たと言う感じがした。

2009年7月3日金曜日

次へ


オルビエトの滞在が終わり次はフィレンツェへ。
前 述の通り、オルビエトは前半曇りと雨の日に多く見舞われ、最後の辺りになりやっと晴れ間がでて来た。それでも1日ずっと天気という日は無く、いつもどこか でゴロゴロ・と雷雲が出来ていた。先日は遠出して場所に着き、折角描き始めた所で雷雨。更にミニトマト大(最近よくパスタに入れて食べている)の雹まで落 ちて来た。付近に屋根のある建物などは無く、多分雷が落ちなさそうな木の下に雨宿りで入ったが殆ど意味無くづぶ濡れになった。
テレビもラジオも無いので空を見て、雲の様子からこの地域の日射しの具合が予想出来るようになった。
もう別の場所に行くので意味ないが。

絵の方は晴れが短いので自然早く描く様になった。今のところ6号以下の小作が20点。