2012年10月30日火曜日

おおきな梨

子供の顔ほどある梨をもらった。

2012年10月2日火曜日

タブレット

最近、でもないが、携帯の他に、「タブレット」と言った大きめの画面に直接指で操作するタイプのモノが多く使われている。


先日外で描いていた時、通りかかった5、60代の女性二人が話していた会話を耳にした。「最近はタブレットのパソコンでこう言う絵を描けるんだってねえ・」と言うような話。『こう言う絵』と言う部分に「むむむ?」と少なからず引っかかったが、どう言った意味での『こう言う』なのかは分からない。
自分も興味本位でタブレットのペインティングソフトを使って描いてみた事があるが、実際描く絵画とは程遠かった。良い点は複製が直に幾らでも出来る事と、描いていて間違えたと思ったらすぐに戻してやり直せる事。
但し、複製と言っても実体が無いので本物の質感などは今の所無いし、やり直し機能も「間違えてもすぐに直せるから」と、どうしたら間違えずに描けるのかをあまり考えずにある程度描けてしまう。簡単なのだが、表現できる事が少ないので飽きも早そうである。

これからこうした機器はどんどん進化していくので、指ではなく力のかかり具合を表現できる筆も使えるようになるかもしれないし、描く画面の表面の質感も色々変えられるかもしれない。こう考えると、いずれデジタルに置き換わるのは絵具と支持体(キャンバス)だけで良いと思う。しかし、キャンバスはある程度出来たとしても、粘性のある絵具をデジタルで実物のように外部に出現させるのは無理だと思う。

フィルムカメラがデジタルカメラに置き換わるようにシンプルではなくて、今の所タブレットソフトとの表現の幅の差は絵画と比べ物にならない。
息子もタブレットの絵描きソフトで最初は遊んでいたが間もなく興味を無くしてしまい、今はパステルや鉛筆、マジックなど使って色々な所に描いている。(時々キャンバスは壁にまで行ってしまい、こういう時は「やり直し機能」で消せたらいいと思ってしまう。)

実際の絵を見る事も、パソコンの画面で同じものを見るのとは全く違うと思う。もしかしたら美術館の薄暗い光で見るより、パソコン画像の方がはっきり、くっきりと見やすい事もあるかも知れないが、実際に赴いて目にする作品の雰囲気、会場の光や、遠くから見たその絵と、近くで見た時の印象の違いなど、感じられる物は多い。「心を奪われて絵の前に時間を忘れて立っている」、と言うことはあるが、「時間を忘れてパソコン画面の前にずっと座っている」事はあまり無いと思う。
「~を訪れるならひとつ前の駅から歩いて、」と言う言葉があったと思うけれど、何かをするという行動にはその前段階など、それ自体以外の全ても含まれているから感動もひとしおになるので、実物の絵を見る事も同じ事だと思う。



要は、通りかかった女性達に、「タブレットでは『こう言う』絵は描けません。」と言いたかったのである。

しかし、文句を言ってないでタブレットのソフトで描けるような絵と見られない様な絵を描きたい思う。