安曇野にも春の陽気が訪れ、草花は桜の花を筆頭に待ち構えていたように一斉に咲きだした。
タンポポもそれらの仲間の一つであるが、西洋タンポポは繁殖力が強すぎるため放っておくと敷地がタンポポだらけになってしまう。ヤギ達も食べきれない。
綿毛になる前に父が一つ一つ徹底的にほじくり返し始末している姿を最近頻繁に目にする。
アメリカ留学時、自分が学校のメンテナンスのアルバイトをしていた際、タンポポ用の除草剤なども目にした程なので本場のタンポポも本場の人々に敵視されているようだ。
ふと、自分はタンポポを取り除くとき「雪の下の故郷の夜冷たい風と・・」と言う歌が頭に流れているのに気づく。思い返すとそれは小学校時代の出来事からである。
中学年頃だったか音楽の授業でこの歌を歌うようになって以降、俄かに学校の草取りの活動で音楽の教師から「タンポポは抜いては駄目だ」と怒られた子がいたと言うのである。その時まで雑草としてと取り除いていたタンポポに生存特権が与えられ、我々小学生同志では「あー抜いちゃいけないんだ!」「え?」と突然の変更に困惑したのを覚えている。
その歌を習ってから小学生終了までの間だけにあったタンポポを抜いてはいけないという不思議な経験。
現在取り除くとき、子供時代に強く作られた記憶からか、現在でも禁止されていることをやっていると言う矛盾が多少あるのかもしれない。そしてこれからも頭の中に流れる歌は消えることはないだろう。
ただ自分は絵を描くときに小さなアクセントとしてのタンポポの小さく鮮やかな黄色はあってもよいと思っている。
今日も父親はひたすら咲いたタンポポを片っ端にほじくり返す。