桜も終わり、そろそろ周囲の草が茂ってきたので除草部隊を出動させた。
草刈り代わりになるだろうと移住当初飼い始めた山羊。冬の間静かに眠っていた草たちは、春になるのを待ちわびていた様に一斉に生えてくる。
しかしながら、隊員は盛夏に向けて競うように次々に伸びてくる下草を処理しきれるほど食べてはくれないし、生えていれば何でも良いと言う訳でもないらしく、まず植木の葉などを優先的に食す美食家である。
三年おきに行い今回で五回目となる日本橋三越本店での個展。
安曇野に引っ越してから東京に行く事も少なくなり、訪れる用事が出来るとその短い期間に友人などと会う予定をとったりする。昔居た職場のジブリ美術館や知り合いの居るスタジオジブリなどにも遊びに行ったりして懐かしさを楽しんだりもする。
今度息子の通っていた併設保育園卒園生の同窓会の知らせが届いた。最近写真で見てお年を召したな、と感じた宮崎氏にも出来ればもう一度お会いしておきたいと思っていた。
ジブリ作品は自分の原体験であり、その後の関わりも自身のその先の方向性を決めたと言える。
時代はどんどん進んで自分も周りの状況もすたすたと変わっていくと感じる今日この頃。
それでも新しい挑戦は常にしたいと思っている。
安曇野にも春の陽気が訪れ、草花は桜の花を筆頭に待ち構えていたように一斉に咲きだした。
タンポポもそれらの仲間の一つであるが、西洋タンポポは繁殖力が強すぎるため放っておくと敷地がタンポポだらけになってしまう。ヤギ達も食べきれない。
綿毛になる前に父が一つ一つ徹底的にほじくり返し始末している姿を最近頻繁に目にする。
アメリカ留学時、自分が学校のメンテナンスのアルバイトをしていた際、タンポポ用の除草剤なども目にした程なので本場のタンポポも本場の人々に敵視されているようだ。
ふと、自分はタンポポを取り除くとき「雪の下の故郷の夜冷たい風と・・」と言う歌が頭に流れているのに気づく。思い返すとそれは小学校時代の出来事からである。
中学年頃だったか音楽の授業でこの歌を歌うようになって以降、俄かに学校の草取りの活動で音楽の教師から「タンポポは抜いては駄目だ」と怒られた子がいたと言うのである。その時まで雑草としてと取り除いていたタンポポに生存特権が与えられ、我々小学生同志では「あー抜いちゃいけないんだ!」「え?」と突然の変更に困惑したのを覚えている。
その歌を習ってから小学生終了までの間だけにあったタンポポを抜いてはいけないという不思議な経験。
現在取り除くとき、子供時代に強く作られた記憶からか、現在でも禁止されていることをやっていると言う矛盾が多少あるのかもしれない。そしてこれからも頭の中に流れる歌は消えることはないだろう。
ただ自分は絵を描くときに小さなアクセントとしてのタンポポの小さく鮮やかな黄色はあってもよいと思っている。
今日も父親はひたすら咲いたタンポポを片っ端にほじくり返す。
昨夜10時頃家から100メートルほど離れたアトリエに用事があり、家の外に出たとき何かの気配を感じた。それも一つではなく複数のもの。
手には懐中電灯を持っていたので 駐車場を照らしてみると。ヤギが3匹。脱走していた。
柵のドアを閉め忘れたかと思いつつ、それぞれを捕獲(結構大変)して柵内に戻す。
翌朝再び家の外に動物の気配。見るとまた3匹そろって柵外に脱出していた。
柵の扉は開いており、何者かが開けたということになる。
柵内に戻したヤギたちを離れたところから観察していると、一匹(3歳)が柵の開け方を覚えてしまっていた。
先日妻が買ってきた玄関先のパンジーの苗もきれいに食されてしまい、妻は悔しがっていた。
ヤギ達も普段とは違った味を楽しみたかったのかもしれない。
今朝も山際から爆竹の威勢のいい発破音が鳴り響く。
里山は人の生活圏と自然との境界であり緩衝地域といえる。
自分の住む場所は見方によっては「最前線」であり、手入れを怠れば自然がこちら側に勢力を広げてきて、開墾し整備した土地は再びあっという間に緑に覆いつくされてしまう。
自然と対決していると言う姿勢ではないが、境界線を維持する為に行動をすることが必要になる。
その自然の中には野生動物も含まれる。
これから実りの季節を迎え、畑や果樹は猿の格好の餌となる。
人が追い払わなければ50頭以上の群れで大挙して押し寄せる。向かいのそば畑は収穫の時期にすべて食べ尽くされてしまった。
過疎化となっている訳ではないが、農業を営む人は高齢化し減ってきている。
野生動物も安心して栄養のある作物を手に入れられることを学んでしまい何度も現れる。それを境界地域の人が追い払う。
里山に住む者の使命とでも言えるだろうか。
早く追い払い専用のドローンなどが普及されることを望んでいる。
滞在したDalessio家のあるジェールはトゥールーズ空港からレンタカーでハイウェイを使って1時間ほどの場所であった。4日間の滞在の後、初のフランスでの運転ということとあまり新しい土地で走行をしたくない慎重な思いもあり、次なる場所はそこからもう1時間ほどのClèdesと言うトレッキング地の農村を選び滞在した。景色は良かったが、先のジェール程絵を描く場所が見つけられず、熱波も相まって朝夕の制作がメインとなり作品数が減った。
Clèdesでの滞在を終え、てトゥールーズ空港へ。
ここでコロナのPCR検査を受けて陰性証明書なるものを発行してもらわなければいけない。
結果のすぐ出る種類の検査を空港で予約したつもりだったのだが、そこで告げられたのは結果が24時間後と言うもの。それでは飛行機が間に合わないので、近くの病院を教えてもらいそちらへ向かう。
40ユーロを支払い検査を受け、無事陰性証明書をもらい飛行機に搭乗。
今回の旅はまだコロナが治まっていない中ではあったが、既に欧州は日本ほどコロナ対策を厳重にしておらず、出国よりも日本に戻る帰国のほうが手間が掛かった。これまでの旅程とは異なり手続の面倒さとリスクもあったが、それ以上に得られたものは多かったと今は感じる。
イタリアやフランスの宿のオーナの人々、特にDalessio夫妻、皆遠いアジアからの訪問者に対して大変良くしてもらった。
12年ぶりに、風景絵画を習ったMarc Dalessio氏を訪れ4日間ほど滞在させてもらい、絵画制作に帯同させてもらった。
12年前会った当時彼は40歳で、今は50台となったが外見は殆ど変わっておらず、絵画の方も素晴らしい作品を継続的に創り出していた。
彼は自分が会った時期モネのような境遇であった。2009年と10年に会った時、最初の奥さんが闘病中であり、恐らく辛い状態であっただろう。彼は作品をコンスタントに技術や表現のブレ無く描き続ける作家であるが、それでも自分の目には、奥さんが亡くなる頃の彼の作品はどこか寂し気な雰囲気を感じた。
その後幾つかのヨーロッパの国に移住した後、再婚され、フランスのジェールの地に家を購入し終の棲家とすることとなった。奥さんのTina Dalessioさんも画家であり、素晴らしい作品を描いている。
自分が訪れたのは未だ引っ越して6か月経ったばかりということであったが、歴史のあるその屋敷は新しい持ち主となった画家夫妻のアレンジで美術館のようになっており、今後もさらに改修するアイデアを聞くとこちらも楽しみになる。
自分は今回作家と作品を目にし少なからず驚かされた。これまでの自分が描いてきた作品(先日まで描いてきたイタリアでの絵も含む)の不足箇所がより鮮明にされてしまった思いである。それは具体的な部分も多くあるが、それ以外でも制作姿勢や絵描きとしての環境の作り方もそうである。
自分が全く彼と同じ絵を描きたい訳ではないが、外光派の数少ない本質を捉える画家から学べることは多くあると考えている。
ご夫婦のご厚意とおもてなしのお陰で滞在生活はとても素晴らしく、大変感謝している。
その後シエナを後にし、フィレンツェ経由でパリへと飛び、乗り継いでトゥールーズへと移動する。
フィレンツェでは時間があったので駅の荷物預かり所へ旅の荷物を預けて街を散策。
コロナ後(まだ最中でもある)のフィレンツェは変わらず観光客に溢れていた。ヨーロッパの国々に共通しているのだが皆ほぼマスクはしていない。
数年ぶりにPalazzo Pittiの美術館へ。
まだ時間があったので、少し足をのばしてミケランジェロ広場へ。
今回は熱波の影響で兎に角暑い。20代の頃から幾度もこの街を訪れてきた。自分自身の状況はその度に異なっていて、そこから感じられる物もいつも違っていた。今回40台になり、東京から長野に移住しコロナの世界的な変化を経験してからの再訪。全く異なった感覚で街を眺め歩いていた。
ミケランジェロ広場からは変わらず数百年の歴史を経て存在している街並みを臨む景色が広がっていた。
ヨーロッパも75年ぶりかの早い熱波が来たらしく暑い。宿の人が先週はもっと暑かったと言っていたので想像もつかない。
イタリアは5年ぶりとなった。何が変わっているのか何が変わっていないのか。インターネットの発達で情報はよく手に入れられる。街の人々の表情の変化や活気などは実際見てみないと分からない。
駅前で抱擁をているカップルや、乗り間違えて反対方向へ行ったバスの運転手に目的の行き先を尋ねた時の面倒臭そうな受け答えに変わらぬイタリアを実感した。
マスクはしている人としていない人が半々だった。
先々週の広島三越の個展が終了して、明後日より一か月ほどイタリア・フランスに制作に行く。
コロナは両国ともに規制を緩和しているが、情報を見ると両国の国柄が分かる気がする。
フランスは「マスクをしなくていいから離れなさい。」
イタリアは「マスクをして近くで話そう。外だったらどっちも要らないよ。」
今年も暑い夏がやって来た。
東京から高地に引っ越そうが やはり日中暑いものは暑い。夜は涼しくなるのでエアコンは不要ではある。
ブログ更新はかなり滞っていた。制作以外の事が増えていて中々片付かない。
前回の個展を終えた後直ぐにアトリエの残りの制作作業を行い、天井の採光と室内の収納を作った。これで全ての画材などを一ヶ所に置くことができ作業もし易いはず。
梅雨の時期には飼っているヤギの一頭がカビの飼料を食べて体調を崩してしまい獣医の先生に度々来てもらい治療などを受けていた。
これから秋の個展に向けて制作を続けて行こうと意気込みを入れている。
10月14日(水)~19日(月)本館6階美術サロン
今年は福岡の個展が中止となったので事実上初の個展。
制作期間が持てたので今まで以上に熟考出来たことが良かったと感じている。
詳細は下のリンクより。
https://www.mitsukoshi.mistore.jp/nihombashi/shops/art/art/shopnews_list/shopnews0383.html
暑い日が続いているが標高700mの安曇野の此の場所は早くも朝晩涼しくなって来ている。
先日の天の底が抜けた様なにわか雨の翌朝土曜日、家の軒先に仔猫がうずくまっているのを発見した。
その後その付近から更に二匹生まれたばかりのへその緒が付いた仔猫が見つかった。母猫の姿は見つからず一匹は衰弱して、もう二匹は未だニャーと鳴けていた。恐らく時々見かけていた野良の子供だろう。
「仔猫 拾った エサ」「仔猫 拾った 体温」「仔猫 拾った云々・」と調べては試行錯誤。しかし残念ながら衰弱していた一匹は次の日死んでしまった。その翌日にはもう一匹も衰弱してきてしまい、月曜に動物病院に連れて行き手当てをしてもらい再びニャーと鳴くまでになって現在に至る。
生まれたての仔猫は3から4時間おきにミルクと言うことで夜もあまり眠れない日々である。
個展前の制作佳境の時期に大変なものが来てしまった。とは言っても実は子供のころ学校裏にいた捨て猫を拾ってきて飼った経験がある。その時はもう少し大きかったので苦労をした記憶はなかったが。
外には我関せず草を食むヤギ達。最近庭の林檎が大きくなってきてそれを狙いに今日も山から下りてくるサル達。ここは動物が多い。