2026年5月2日土曜日

草刈り部隊

 桜も終わり、そろそろ周囲の草が茂ってきたので除草部隊を出動させた。

草刈り代わりになるだろうと移住当初飼い始めた山羊。冬の間静かに眠っていた草たちは、春になるのを待ちわびていた様に一斉に生えてくる。

しかしながら、隊員は盛夏に向けて競うように次々に伸びてくる下草を処理しきれるほど食べてはくれないし、生えていれば何でも良いと言う訳でもないらしく、まず植木の葉などを優先的に食す美食家である。



そして隙あらば脱走ばかりを考えている三匹の山羊。



2026年3月24日火曜日

個展

 三年おきに行い今回で五回目となる日本橋三越本店での個展。

安曇野に引っ越してから東京に行く事も少なくなり、訪れる用事が出来るとその短い期間に友人などと会う予定をとったりする。昔居た職場のジブリ美術館や知り合いの居るスタジオジブリなどにも遊びに行ったりして懐かしさを楽しんだりもする。

今度息子の通っていた併設保育園卒園生の同窓会の知らせが届いた。最近写真で見てお年を召したな、と感じた宮崎氏にも出来ればもう一度お会いしておきたいと思っていた。

ジブリ作品は自分の原体験であり、その後の関わりも自身のその先の方向性を決めたと言える。


時代はどんどん進んで自分も周りの状況もすたすたと変わっていくと感じる今日この頃。

それでも新しい挑戦は常にしたいと思っている。

2023年6月1日木曜日

 安曇野にも春の陽気が訪れ、草花は桜の花を筆頭に待ち構えていたように一斉に咲きだした。


タンポポもそれらの仲間の一つであるが、西洋タンポポは繁殖力が強すぎるため放っておくと敷地がタンポポだらけになってしまう。ヤギ達も食べきれない。

綿毛になる前に父が一つ一つ徹底的にほじくり返し始末している姿を最近頻繁に目にする。

アメリカ留学時、自分が学校のメンテナンスのアルバイトをしていた際、タンポポ用の除草剤なども目にした程なので本場のタンポポも本場の人々に敵視されているようだ。

ふと、自分はタンポポを取り除くとき「雪の下の故郷の夜冷たい風と・・」と言う歌が頭に流れているのに気づく。思い返すとそれは小学校時代の出来事からである。

中学年頃だったか音楽の授業でこの歌を歌うようになって以降、俄かに学校の草取りの活動で音楽の教師から「タンポポは抜いては駄目だ」と怒られた子がいたと言うのである。その時まで雑草としてと取り除いていたタンポポに生存特権が与えられ、我々小学生同志では「あー抜いちゃいけないんだ!」「え?」と突然の変更に困惑したのを覚えている。

その歌を習ってから小学生終了までの間だけにあったタンポポを抜いてはいけないという不思議な経験。

現在取り除くとき、子供時代に強く作られた記憶からか、現在でも禁止されていることをやっていると言う矛盾が多少あるのかもしれない。そしてこれからも頭の中に流れる歌は消えることはないだろう。

ただ自分は絵を描くときに小さなアクセントとしてのタンポポの小さく鮮やかな黄色はあってもよいと思っている。


今日も父親はひたすら咲いたタンポポを片っ端にほじくり返す。


歌「たんぽぽ」作詞:門倉訣 作曲:堀越浄



2022年8月30日火曜日

脱走を覚える

昨夜10時頃家から100メートルほど離れたアトリエに用事があり、家の外に出たとき何かの気配を感じた。それも一つではなく複数のもの。

手には懐中電灯を持っていたので 駐車場を照らしてみると。ヤギが3匹。脱走していた。

柵のドアを閉め忘れたかと思いつつ、それぞれを捕獲(結構大変)して柵内に戻す。

 

翌朝再び家の外に動物の気配。見るとまた3匹そろって柵外に脱出していた。

柵の扉は開いており、何者かが開けたということになる。

 

柵内に戻したヤギたちを離れたところから観察していると、一匹(3歳)が柵の開け方を覚えてしまっていた。

 




 

先日妻が買ってきた玄関先のパンジーの苗もきれいに食されてしまい、妻は悔しがっていた。

ヤギ達も普段とは違った味を楽しみたかったのかもしれない。

 


2022年8月29日月曜日

里山に住むこと


 

今朝も山際から爆竹の威勢のいい発破音が鳴り響く。

里山は人の生活圏と自然との境界であり緩衝地域といえる。

自分の住む場所は見方によっては「最前線」であり、手入れを怠れば自然がこちら側に勢力を広げてきて、開墾し整備した土地は再びあっという間に緑に覆いつくされてしまう。

自然と対決していると言う姿勢ではないが、境界線を維持する為に行動をすることが必要になる。

その自然の中には野生動物も含まれる。

これから実りの季節を迎え、畑や果樹は猿の格好の餌となる。

人が追い払わなければ50頭以上の群れで大挙して押し寄せる。向かいのそば畑は収穫の時期にすべて食べ尽くされてしまった。

過疎化となっている訳ではないが、農業を営む人は高齢化し減ってきている。

野生動物も安心して栄養のある作物を手に入れられることを学んでしまい何度も現れる。それを境界地域の人が追い払う。

里山に住む者の使命とでも言えるだろうか。

 

早く追い払い専用のドローンなどが普及されることを望んでいる。

 

 

2022年8月20日土曜日

日本の光

 帰国後ホームページリニューアルなどに時間を費やしていた。

 

久々の日本での絵画制作はイタリア、フランスの光とは異なり、同じ絵具で描く絵ではあってもその空気感は変わってくるのが面白い。


 




2022年7月23日土曜日

フランス~帰国

滞在したDalessio家のあるジェールはトゥールーズ空港からレンタカーでハイウェイを使って1時間ほどの場所であった。4日間の滞在の後、初のフランスでの運転ということとあまり新しい土地で走行をしたくない慎重な思いもあり、次なる場所はそこからもう1時間ほどのClèdesと言うトレッキング地の農村を選び滞在した。景色は良かったが、先のジェール程絵を描く場所が見つけられず、熱波も相まって朝夕の制作がメインとなり作品数が減った。



 

Clèdesでの滞在を終え、てトゥールーズ空港へ。

ここでコロナのPCR検査を受けて陰性証明書なるものを発行してもらわなければいけない。

結果のすぐ出る種類の検査を空港で予約したつもりだったのだが、そこで告げられたのは結果が24時間後と言うもの。それでは飛行機が間に合わないので、近くの病院を教えてもらいそちらへ向かう。

40ユーロを支払い検査を受け、無事陰性証明書をもらい飛行機に搭乗。

 

今回の旅はまだコロナが治まっていない中ではあったが、既に欧州は日本ほどコロナ対策を厳重にしておらず、出国よりも日本に戻る帰国のほうが手間が掛かった。これまでの旅程とは異なり手続の面倒さとリスクもあったが、それ以上に得られたものは多かったと今は感じる。

イタリアやフランスの宿のオーナの人々、特にDalessio夫妻、皆遠いアジアからの訪問者に対して大変良くしてもらった。

2022年7月14日木曜日

学ぶこと

 12年ぶりに、風景絵画を習ったMarc Dalessio氏を訪れ4日間ほど滞在させてもらい、絵画制作に帯同させてもらった。


 

12年前会った当時彼は40歳で、今は50台となったが外見は殆ど変わっておらず、絵画の方も素晴らしい作品を継続的に創り出していた。

彼は自分が会った時期モネのような境遇であった。2009年と10年に会った時、最初の奥さんが闘病中であり、恐らく辛い状態であっただろう。彼は作品をコンスタントに技術や表現のブレ無く描き続ける作家であるが、それでも自分の目には、奥さんが亡くなる頃の彼の作品はどこか寂し気な雰囲気を感じた。

その後幾つかのヨーロッパの国に移住した後、再婚され、フランスのジェールの地に家を購入し終の棲家とすることとなった。奥さんのTina Dalessioさんも画家であり、素晴らしい作品を描いている。

自分が訪れたのは未だ引っ越して6か月経ったばかりということであったが、歴史のあるその屋敷は新しい持ち主となった画家夫妻のアレンジで美術館のようになっており、今後もさらに改修するアイデアを聞くとこちらも楽しみになる。

自分は今回作家と作品を目にし少なからず驚かされた。これまでの自分が描いてきた作品(先日まで描いてきたイタリアでの絵も含む)の不足箇所がより鮮明にされてしまった思いである。それは具体的な部分も多くあるが、それ以外でも制作姿勢や絵描きとしての環境の作り方もそうである。

自分が全く彼と同じ絵を描きたい訳ではないが、外光派の数少ない本質を捉える画家から学べることは多くあると考えている。

ご夫婦のご厚意とおもてなしのお陰で滞在生活はとても素晴らしく、大変感謝している。

 



 


2022年7月9日土曜日

帰国

 その後シエナを後にし、フィレンツェ経由でパリへと飛び、乗り継いでトゥールーズへと移動する。

フィレンツェでは時間があったので駅の荷物預かり所へ旅の荷物を預けて街を散策。

 

コロナ後(まだ最中でもある)のフィレンツェは変わらず観光客に溢れていた。ヨーロッパの国々に共通しているのだが皆ほぼマスクはしていない。

数年ぶりにPalazzo Pittiの美術館へ。 



まだ時間があったので、少し足をのばしてミケランジェロ広場へ。

今回は熱波の影響で兎に角暑い。

20代の頃から幾度もこの街を訪れてきた。自分自身の状況はその度に異なっていて、そこから感じられる物もいつも違っていた。今回40台になり、東京から長野に移住しコロナの世界的な変化を経験してからの再訪。全く異なった感覚で街を眺め歩いていた。

ミケランジェロ広場からは変わらず数百年の歴史を経て存在している街並みを臨む景色が広がっていた。

 
 
 
 

2022年6月30日木曜日

パリオ

 期せずして丁度自分の滞在はシエナの一大イベントの「パリオ」の時期に重なった。世界一美しいとされるシエナ中心のカンポ広場で行われ、十数の地区(コントラーダ)対抗で競う競馬大会である。

その熱狂は凄いもので、今日見たプレマッチでさえもカンポ広場は人々の熱気と応援歌で満たされている。


喧騒を離れて公園から時折ここにまで聞こえる応援歌や太鼓の聞こえる街を眺めて描いていた。



2022年6月26日日曜日

無人駅

 シエナ駅にあるレンタカーオフィスに向かうため宿泊地近くの無人駅駅へ。タバッキ(切符も売っているキヨスクのようなもの)でチケット2.6€で購入し駅へと向かう。田舎の無人駅でシエナ方面の表示も無い。線路を渡ってくるおじさんにシエナへはどっち側か尋ねたところ「1番線だよ」との事でそちら側で待つ。

安心していた所、到着時刻に反対側2番線へ一車輌の電車が到着。その目線の先にさっきまで気付かなかった小さな電光掲示板に“SIENA 2”との表示。こちら側に来る気配がなかったため見送りの子どもを抱いた男の人に聞くと、「この電車だ」と言う。

焦ってそちら側に行きどうにかセーフ。


2022年6月25日土曜日

熱波



深夜12時に アブダビ空港に降り立ち、ターミナルに連絡するバスに乗るため飛行機から出た時,熱帯夜などと言う生やさしいもので無く、まるでヒーターに炙られているかのような外気温であった。よくテレビで見る中東のサッカー試合はこんな暑さでやっていたんだと実感する。

ヨーロッパも75年ぶりかの早い熱波が来たらしく暑い。宿の人が先週はもっと暑かったと言っていたので想像もつかない。

イタリアは5年ぶりとなった。何が変わっているのか何が変わっていないのか。インターネットの発達で情報はよく手に入れられる。街の人々の表情の変化や活気などは実際見てみないと分からない。

駅前で抱擁をているカップルや、乗り間違えて反対方向へ行ったバスの運転手に目的の行き先を尋ねた時の面倒臭そうな受け答えに変わらぬイタリアを実感した。

マスクはしている人としていない人が半々だった。


2022年6月23日木曜日

出国

午後の便の成田空港発アブダビ経由ローマ行き。

出国ロビーはガラガラで、ただただ最新のセキュリティ巡回ロボットがフロアを徘徊しているのが目に付いた。ヨーロッパの国々も次第に規制を撤廃し観光客の受け入れを再開し始めており、日本それに倣ってもう少しで賑わいを取り戻すだろう。

事前に送った大きい荷物を受け取るカウンターは終了されており、「1階到着ロビーの発送カウンターへ行って」との張り紙。 出発を見送る人達と、到着を待つ人達とをそれぞれの階で横目で見つつ通り過ぎ、荷物を取りに行った。4階出国と1階帰国の僅かな距離で人々の心境は全く違うのだろうなと思いを巡らせていた。

2022年6月21日火曜日

伊・仏紀行

 先々週の広島三越の個展が終了して、明後日より一か月ほどイタリア・フランスに制作に行く。

コロナは両国ともに規制を緩和しているが、情報を見ると両国の国柄が分かる気がする。 

フランスは「マスクをしなくていいから離れなさい。」

イタリアは「マスクをして近くで話そう。外だったらどっちも要らないよ。」


 
アメリカも先日入国の際のPCR検査を滞在先で受ける陰性証明書の提出が無くなったらしい。日本は未だ実施していて、このままだと来月の帰国の際、フランスの空港で一万円以上のPCRを受けなければならない。帰国する頃にはどうなっているだろうか。
 
今回は世界が大きな変化を経験した(している)ので、これまでの滞在とは気持ちが異なっている。
5年ぶりという事もあるが、身体を通して経験し絵を描いてこようと思う。

 

2021年8月6日金曜日

木崎湖

 暑い日が続いている。

子供たちが水遊びをしたいと言うので大町市にある木崎湖へ行く。

予約制で人数制限となり人はそれ程多くはなかったが、今年の湖畔も青い空、白い夏雲のもと透き通った程良い冷たさの湖水で子供たちは思う存分遊んでいた。

湖畔の風景を描き、その後一緒に遊んだ。




2021年7月24日土曜日

更新

今年も暑い夏がやって来た。

東京から高地に引っ越そうが やはり日中暑いものは暑い。夜は涼しくなるのでエアコンは不要ではある。

ブログ更新はかなり滞っていた。制作以外の事が増えていて中々片付かない。

前回の個展を終えた後直ぐにアトリエの残りの制作作業を行い、天井の採光と室内の収納を作った。これで全ての画材などを一ヶ所に置くことができ作業もし易いはず。

梅雨の時期には飼っているヤギの一頭がカビの飼料を食べて体調を崩してしまい獣医の先生に度々来てもらい治療などを受けていた。

これから秋の個展に向けて制作を続けて行こうと意気込みを入れている。

 




2020年10月16日金曜日

日本橋

 今回も一週間東京に滞在。




安曇野の山際から東京の中心と大きな変化が新鮮に感じられる様になって来た。

昨年とは街の様子も変わった。会場でも常にマスクをした状態で会話していると、お互い伝わる情報量が数割〜減となっている気がする。刺激を強く感じやすい初日などは多少軽減された感じがある。

この様な時世ではあっても変わらず楽しみに見に来てくれる方々と会えるのはやはり嬉しい所。


2020年9月29日火曜日

日本橋三越個展

 10月14日(水)~19日(月)本館6階美術サロン

 

今年は福岡の個展が中止となったので事実上初の個展。

制作期間が持てたので今まで以上に熟考出来たことが良かったと感じている。

 詳細は下のリンクより。

https://www.mitsukoshi.mistore.jp/nihombashi/shops/art/art/shopnews_list/shopnews0383.html  

 



2020年9月2日水曜日

その後

 仔猫達は何度か動物病院に行ったものの残念ながら一週間しか生き残ることができなかった。

多産な生き物はそれだけ生き残る率が低いと言うことだが、今回の仔猫3匹も恐らく何かの問題があり母猫が見捨てて行ってしまったのだろう。なかなか上手くミルクを飲むことができず一時は元気になったが再び弱ってしまい、成長が難しいと感じた。

3匹共同じ日当たりが良く見晴らしの良い場所に埋めてあげた。そこは猫じゃらしも沢山生えている。

 


2020年8月26日水曜日

ネコ

 暑い日が続いているが標高700mの安曇野の此の場所は早くも朝晩涼しくなって来ている。

 

先日の天の底が抜けた様なにわか雨の翌朝土曜日、家の軒先に仔猫がうずくまっているのを発見した。

その後その付近から更に二匹生まれたばかりのへその緒が付いた仔猫が見つかった。母猫の姿は見つからず一匹は衰弱して、もう二匹は未だニャーと鳴けていた。恐らく時々見かけていた野良の子供だろう。

「仔猫 拾った エサ」「仔猫 拾った 体温」「仔猫 拾った云々・」と調べては試行錯誤。しかし残念ながら衰弱していた一匹は次の日死んでしまった。その翌日にはもう一匹も衰弱してきてしまい、月曜に動物病院に連れて行き手当てをしてもらい再びニャーと鳴くまでになって現在に至る。

生まれたての仔猫は3から4時間おきにミルクと言うことで夜もあまり眠れない日々である。

個展前の制作佳境の時期に大変なものが来てしまった。とは言っても実は子供のころ学校裏にいた捨て猫を拾ってきて飼った経験がある。その時はもう少し大きかったので苦労をした記憶はなかったが。


外には我関せず草を食むヤギ達。最近庭の林檎が大きくなってきてそれを狙いに今日も山から下りてくるサル達。ここは動物が多い。