2023年12月4日月曜日

猿と人間とAIと

 

アトリエの裏山で今日もサルの群れが騒いでいる。


時折、住宅地にまで降りてきて、家の中に入ってしまう事もあり住民からは疎まれている。観光客として見ていた頃は好奇の目のみで観察していたが、実害を被るようになってより好奇の目は多少残しつつ、我々の原始的な本能とも言える縄張り意識が起きてきた。

他方で「これは後の我々の姿なのでは」と薄々思ってもいる。

豊かな食べ物を供給し外敵から身を守る木々のある森を出て、類人猿とし今日まで進化してきた我々。一方で猿は環境と生活を大きく変化させることなく森に残り続けた。

まだAIがそれほど話題になっていなかった2015年頃レイ・カーツワイルの「ポストヒューマン誕生」を読んでシンギュラリティというものについて遥か想像を巡らせていた。我々人類よりすべての面においてより優れた状態になったとき、その者達からにとって我々は人間から見たサルと同じなのではないだろうかと。そして最近予想より早くAIが注目されるようになってきた。

それは近い将来なのか、もっと先のことなのか。その存在から我々の活動が彼らにとって不都合なものであれば、同様に何らかの形で「追い払い」を受けるのか、それとも、もうあっという間に人間など気に掛ける程でも無い存在になってしまうのかな・などとSFじみたことを想像したりもしている。


それはさておき、今日も降りてきてしまった猿の群れを追い払う




2023年6月1日木曜日

 安曇野にも春の陽気が訪れ、草花は桜の花を筆頭に待ち構えていたように一斉に咲きだした。


タンポポもそれらの仲間の一つであるが、西洋タンポポは繁殖力が強すぎるため放っておくと敷地がタンポポだらけになってしまう。ヤギ達も食べきれない。

綿毛になる前に父が一つ一つ徹底的にほじくり返し始末している姿を最近頻繁に目にする。

アメリカ留学時、自分が学校のメンテナンスのアルバイトをしていた際、タンポポ用の除草剤なども目にした程なので本場のタンポポも本場の人々に敵視されているようだ。

ふと、自分はタンポポを取り除くとき「雪の下の故郷の夜冷たい風と・・」と言う歌が頭に流れているのに気づく。思い返すとそれは小学校時代の出来事からである。

中学年頃だったか音楽の授業でこの歌を歌うようになって以降、俄かに学校の草取りの活動で音楽の教師から「タンポポは抜いては駄目だ」と怒られた子がいたと言うのである。その時まで雑草としてと取り除いていたタンポポに生存特権が与えられ、我々小学生同志では「あー抜いちゃいけないんだ!」「え?」と突然の変更に困惑したのを覚えている。

その歌を習ってから小学生終了までの間だけにあったタンポポを抜いてはいけないという不思議な経験。

現在取り除くとき、子供時代に強く作られた記憶からか、現在でも禁止されていることをやっていると言う矛盾が多少あるのかもしれない。そしてこれからも頭の中に流れる歌は消えることはないだろう。

ただ自分は絵を描くときに小さなアクセントとしてのタンポポの小さく鮮やかな黄色はあってもよいと思っている。


今日も父親はひたすら咲いたタンポポを片っ端にほじくり返す。


歌「たんぽぽ」作詞:門倉訣 作曲:堀越浄



2022年8月30日火曜日

脱走を覚える

昨夜10時頃家から100メートルほど離れたアトリエに用事があり、家の外に出たとき何かの気配を感じた。それも一つではなく複数のもの。

手には懐中電灯を持っていたので 駐車場を照らしてみると。ヤギが3匹。脱走していた。

柵のドアを閉め忘れたかと思いつつ、それぞれを捕獲(結構大変)して柵内に戻す。

 

翌朝再び家の外に動物の気配。見るとまた3匹そろって柵外に脱出していた。

柵の扉は開いており、何者かが開けたということになる。

 

柵内に戻したヤギたちを離れたところから観察していると、一匹(3歳)が柵の開け方を覚えてしまっていた。

 




 

先日妻が買ってきた玄関先のパンジーの苗もきれいに食されてしまい、妻は悔しがっていた。

ヤギ達も普段とは違った味を楽しみたかったのかもしれない。

 


2022年8月29日月曜日

里山に住むこと


 

今朝も山際から爆竹の威勢のいい発破音が鳴り響く。

里山は人の生活圏と自然との境界であり緩衝地域といえる。

自分の住む場所は見方によっては「最前線」であり、手入れを怠れば自然がこちら側に勢力を広げてきて、開墾し整備した土地は再びあっという間に緑に覆いつくされてしまう。

自然と対決していると言う姿勢ではないが、境界線を維持する為に行動をすることが必要になる。

その自然の中には野生動物も含まれる。

これから実りの季節を迎え、畑や果樹は猿の格好の餌となる。

人が追い払わなければ50頭以上の群れで大挙して押し寄せる。向かいのそば畑は収穫の時期にすべて食べ尽くされてしまった。

過疎化となっている訳ではないが、農業を営む人は高齢化し減ってきている。

野生動物も安心して栄養のある作物を手に入れられることを学んでしまい何度も現れる。それを境界地域の人が追い払う。

里山に住む者の使命とでも言えるだろうか。

 

早く追い払い専用のドローンなどが普及されることを望んでいる。

 

 

2022年8月20日土曜日

日本の光

 帰国後ホームページリニューアルなどに時間を費やしていた。

 

久々の日本での絵画制作はイタリア、フランスの光とは異なり、同じ絵具で描く絵ではあってもその空気感は変わってくるのが面白い。


 




2022年7月23日土曜日

フランス~帰国

滞在したDalessio家のあるジェールはトゥールーズ空港からレンタカーでハイウェイを使って1時間ほどの場所であった。4日間の滞在の後、初のフランスでの運転ということとあまり新しい土地で走行をしたくない慎重な思いもあり、次なる場所はそこからもう1時間ほどのClèdesと言うトレッキング地の農村を選び滞在した。景色は良かったが、先のジェール程絵を描く場所が見つけられず、熱波も相まって朝夕の制作がメインとなり作品数が減った。



 

Clèdesでの滞在を終え、てトゥールーズ空港へ。

ここでコロナのPCR検査を受けて陰性証明書なるものを発行してもらわなければいけない。

結果のすぐ出る種類の検査を空港で予約したつもりだったのだが、そこで告げられたのは結果が24時間後と言うもの。それでは飛行機が間に合わないので、近くの病院を教えてもらいそちらへ向かう。

40ユーロを支払い検査を受け、無事陰性証明書をもらい飛行機に搭乗。

 

今回の旅はまだコロナが治まっていない中ではあったが、既に欧州は日本ほどコロナ対策を厳重にしておらず、出国よりも日本に戻る帰国のほうが手間が掛かった。これまでの旅程とは異なり手続の面倒さとリスクもあったが、それ以上に得られたものは多かったと今は感じる。

イタリアやフランスの宿のオーナの人々、特にDalessio夫妻、皆遠いアジアからの訪問者に対して大変良くしてもらった。

2022年7月14日木曜日

学ぶこと

 12年ぶりに、風景絵画を習ったMarc Dalessio氏を訪れ4日間ほど滞在させてもらい、絵画制作に帯同させてもらった。


 

12年前会った当時彼は40歳で、今は50台となったが外見は殆ど変わっておらず、絵画の方も素晴らしい作品を継続的に創り出していた。

彼は自分が会った時期モネのような境遇であった。2009年と10年に会った時、最初の奥さんが闘病中であり、恐らく辛い状態であっただろう。彼は作品をコンスタントに技術や表現のブレ無く描き続ける作家であるが、それでも自分の目には、奥さんが亡くなる頃の彼の作品はどこか寂し気な雰囲気を感じた。

その後幾つかのヨーロッパの国に移住した後、再婚され、フランスのジェールの地に家を購入し終の棲家とすることとなった。奥さんのTina Dalessioさんも画家であり、素晴らしい作品を描いている。

自分が訪れたのは未だ引っ越して6か月経ったばかりということであったが、歴史のあるその屋敷は新しい持ち主となった画家夫妻のアレンジで美術館のようになっており、今後もさらに改修するアイデアを聞くとこちらも楽しみになる。

自分は今回作家と作品を目にし少なからず驚かされた。これまでの自分が描いてきた作品(先日まで描いてきたイタリアでの絵も含む)の不足箇所がより鮮明にされてしまった思いである。それは具体的な部分も多くあるが、それ以外でも制作姿勢や絵描きとしての環境の作り方もそうである。

自分が全く彼と同じ絵を描きたい訳ではないが、外光派の数少ない本質を捉える画家から学べることは多くあると考えている。

ご夫婦のご厚意とおもてなしのお陰で滞在生活はとても素晴らしく、大変感謝している。