2022年8月30日火曜日

脱走を覚える

昨夜10時頃家から100メートルほど離れたアトリエに用事があり、家の外に出たとき何かの気配を感じた。それも一つではなく複数のもの。

手には懐中電灯を持っていたので 駐車場を照らしてみると。ヤギが3匹。脱走していた。

柵のドアを閉め忘れたかと思いつつ、それぞれを捕獲(結構大変)して柵内に戻す。

 

翌朝再び家の外に動物の気配。見るとまた3匹そろって柵外に脱出していた。

柵の扉は開いており、何者かが開けたということになる。

 

柵内に戻したヤギたちを離れたところから観察していると、一匹(3歳)が柵の開け方を覚えてしまっていた。

 




 

先日妻が買ってきた玄関先のパンジーの苗もきれいに食されてしまい、妻は悔しがっていた。

ヤギ達も普段とは違った味を楽しみたかったのかもしれない。

 


2022年8月29日月曜日

里山に住むこと


 

今朝も山際から爆竹の威勢のいい発破音が鳴り響く。

里山は人の生活圏と自然との境界であり緩衝地域といえる。

自分の住む場所は見方によっては「最前線」であり、手入れを怠れば自然がこちら側に勢力を広げてきて、開墾し整備した土地は再びあっという間に緑に覆いつくされてしまう。

自然と対決していると言う姿勢ではないが、境界線を維持する為に行動をすることが必要になる。

その自然の中には野生動物も含まれる。

これから実りの季節を迎え、畑や果樹は猿の格好の餌となる。

人が追い払わなければ50頭以上の群れで大挙して押し寄せる。向かいのそば畑は収穫の時期にすべて食べ尽くされてしまった。

過疎化となっている訳ではないが、農業を営む人は高齢化し減ってきている。

野生動物も安心して栄養のある作物を手に入れられることを学んでしまい何度も現れる。それを境界地域の人が追い払う。

里山に住む者の使命とでも言えるだろうか。

 

早く追い払い専用のドローンなどが普及されることを望んでいる。

 

 

2022年8月20日土曜日

日本の光

 帰国後ホームページリニューアルなどに時間を費やしていた。

 

久々の日本での絵画制作はイタリア、フランスの光とは異なり、同じ絵具で描く絵ではあってもその空気感は変わってくるのが面白い。


 




2022年7月23日土曜日

フランス~帰国

滞在したDalessio家のあるジェールはトゥールーズ空港からレンタカーでハイウェイを使って1時間ほどの場所であった。4日間の滞在の後、初のフランスでの運転ということとあまり新しい土地で走行をしたくない慎重な思いもあり、次なる場所はそこからもう1時間ほどのClèdesと言うトレッキング地の農村を選び滞在した。景色は良かったが、先のジェール程絵を描く場所が見つけられず、熱波も相まって朝夕の制作がメインとなり作品数が減った。



 

Clèdesでの滞在を終え、てトゥールーズ空港へ。

ここでコロナのPCR検査を受けて陰性証明書なるものを発行してもらわなければいけない。

結果のすぐ出る種類の検査を空港で予約したつもりだったのだが、そこで告げられたのは結果が24時間後と言うもの。それでは飛行機が間に合わないので、近くの病院を教えてもらいそちらへ向かう。

40ユーロを支払い検査を受け、無事陰性証明書をもらい飛行機に搭乗。

 

今回の旅はまだコロナが治まっていない中ではあったが、既に欧州は日本ほどコロナ対策を厳重にしておらず、出国よりも日本に戻る帰国のほうが手間が掛かった。これまでの旅程とは異なり手続の面倒さとリスクもあったが、それ以上に得られたものは多かったと今は感じる。

イタリアやフランスの宿のオーナの人々、特にDalessio夫妻、皆遠いアジアからの訪問者に対して大変良くしてもらった。

2022年7月14日木曜日

学ぶこと

 12年ぶりに、風景絵画を習ったMarc Dalessio氏を訪れ4日間ほど滞在させてもらい、絵画制作に帯同させてもらった。


 

12年前会った当時彼は40歳で、今は50台となったが外見は殆ど変わっておらず、絵画の方も素晴らしい作品を継続的に創り出していた。

彼は自分が会った時期モネのような境遇であった。2009年と10年に会った時、最初の奥さんが闘病中であり、恐らく辛い状態であっただろう。彼は作品をコンスタントに技術や表現のブレ無く描き続ける作家であるが、それでも自分の目には、奥さんが亡くなる頃の彼の作品はどこか寂し気な雰囲気を感じた。

その後幾つかのヨーロッパの国に移住した後、再婚され、フランスのジェールの地に家を購入し終の棲家とすることとなった。奥さんのTina Dalessioさんも画家であり、素晴らしい作品を描いている。

自分が訪れたのは未だ引っ越して6か月経ったばかりということであったが、歴史のあるその屋敷は新しい持ち主となった画家夫妻のアレンジで美術館のようになっており、今後もさらに改修するアイデアを聞くとこちらも楽しみになる。

自分は今回作家と作品を目にし少なからず驚かされた。これまでの自分が描いてきた作品(先日まで描いてきたイタリアでの絵も含む)の不足箇所がより鮮明にされてしまった思いである。それは具体的な部分も多くあるが、それ以外でも制作姿勢や絵描きとしての環境の作り方もそうである。

自分が全く彼と同じ絵を描きたい訳ではないが、外光派の数少ない本質を捉える画家から学べることは多くあると考えている。

ご夫婦のご厚意とおもてなしのお陰で滞在生活はとても素晴らしく、大変感謝している。

 



 


2022年7月9日土曜日

帰国

 その後シエナを後にし、フィレンツェ経由でパリへと飛び、乗り継いでトゥールーズへと移動する。

フィレンツェでは時間があったので駅の荷物預かり所へ旅の荷物を預けて街を散策。

 

コロナ後(まだ最中でもある)のフィレンツェは変わらず観光客に溢れていた。ヨーロッパの国々に共通しているのだが皆ほぼマスクはしていない。

数年ぶりにPalazzo Pittiの美術館へ。 



まだ時間があったので、少し足をのばしてミケランジェロ広場へ。

今回は熱波の影響で兎に角暑い。

20代の頃から幾度もこの街を訪れてきた。自分自身の状況はその度に異なっていて、そこから感じられる物もいつも違っていた。今回40台になり、東京から長野に移住しコロナの世界的な変化を経験してからの再訪。全く異なった感覚で街を眺め歩いていた。

ミケランジェロ広場からは変わらず数百年の歴史を経て存在している街並みを臨む景色が広がっていた。

 
 
 
 

2022年6月30日木曜日

パリオ

 期せずして丁度自分の滞在はシエナの一大イベントの「パリオ」の時期に重なった。世界一美しいとされるシエナ中心のカンポ広場で行われ、十数の地区(コントラーダ)対抗で競う競馬大会である。

その熱狂は凄いもので、今日見たプレマッチでさえもカンポ広場は人々の熱気と応援歌で満たされている。


喧騒を離れて公園から時折ここにまで聞こえる応援歌や太鼓の聞こえる街を眺めて描いていた。



2022年6月26日日曜日

無人駅

 シエナ駅にあるレンタカーオフィスに向かうため宿泊地近くの無人駅駅へ。タバッキ(切符も売っているキヨスクのようなもの)でチケット2.6€で購入し駅へと向かう。田舎の無人駅でシエナ方面の表示も無い。線路を渡ってくるおじさんにシエナへはどっち側か尋ねたところ「1番線だよ」との事でそちら側で待つ。

安心していた所、到着時刻に反対側2番線へ一車輌の電車が到着。その目線の先にさっきまで気付かなかった小さな電光掲示板に“SIENA 2”との表示。こちら側に来る気配がなかったため見送りの子どもを抱いた男の人に聞くと、「この電車だ」と言う。

焦ってそちら側に行きどうにかセーフ。


2022年6月25日土曜日

熱波



深夜12時に アブダビ空港に降り立ち、ターミナルに連絡するバスに乗るため飛行機から出た時,熱帯夜などと言う生やさしいもので無く、まるでヒーターに炙られているかのような外気温であった。よくテレビで見る中東のサッカー試合はこんな暑さでやっていたんだと実感する。

ヨーロッパも75年ぶりかの早い熱波が来たらしく暑い。宿の人が先週はもっと暑かったと言っていたので想像もつかない。

イタリアは5年ぶりとなった。何が変わっているのか何が変わっていないのか。インターネットの発達で情報はよく手に入れられる。街の人々の表情の変化や活気などは実際見てみないと分からない。

駅前で抱擁をているカップルや、乗り間違えて反対方向へ行ったバスの運転手に目的の行き先を尋ねた時の面倒臭そうな受け答えに変わらぬイタリアを実感した。

マスクはしている人としていない人が半々だった。


2022年6月23日木曜日

出国

午後の便の成田空港発アブダビ経由ローマ行き。

出国ロビーはガラガラで、ただただ最新のセキュリティ巡回ロボットがフロアを徘徊しているのが目に付いた。ヨーロッパの国々も次第に規制を撤廃し観光客の受け入れを再開し始めており、日本それに倣ってもう少しで賑わいを取り戻すだろう。

事前に送った大きい荷物を受け取るカウンターは終了されており、「1階到着ロビーの発送カウンターへ行って」との張り紙。 出発を見送る人達と、到着を待つ人達とをそれぞれの階で横目で見つつ通り過ぎ、荷物を取りに行った。4階出国と1階帰国の僅かな距離で人々の心境は全く違うのだろうなと思いを巡らせていた。

2022年6月21日火曜日

伊・仏紀行

 先々週の広島三越の個展が終了して、明後日より一か月ほどイタリア・フランスに制作に行く。

コロナは両国ともに規制を緩和しているが、情報を見ると両国の国柄が分かる気がする。 

フランスは「マスクをしなくていいから離れなさい。」

イタリアは「マスクをして近くで話そう。外だったらどっちも要らないよ。」


 
アメリカも先日入国の際のPCR検査を滞在先で受ける陰性証明書の提出が無くなったらしい。日本は未だ実施していて、このままだと来月の帰国の際、フランスの空港で一万円以上のPCRを受けなければならない。帰国する頃にはどうなっているだろうか。
 
今回は世界が大きな変化を経験した(している)ので、これまでの滞在とは気持ちが異なっている。
5年ぶりという事もあるが、身体を通して経験し絵を描いてこようと思う。