2014年2月13日木曜日

先日の大雪の日の翌日は空も晴れ渡り、普段見ている景色は一変した。息子と一緒になって外に繰り出しそれぞれ好きな事をしていた。 先だって、今回の連休中に雪の景色を描くため信濃大町まで宿泊を予約したのだが、直前に目の前にも雪の景色が出来上がってしまった。
山のある雪景色はまた違った雰囲気があって良かったと思っている。東京では作ることのできない大きさのかまくらも見ることが出来た。

2014年2月2日日曜日

Procrastination

決めているわけではないが、冬場は室内にて、これまで外で描いた絵を元に、大きなサイズの作品を描く事が多い。大きい絵を描く事は継続的なエネルギーが必要で大変だが、楽しくもある。

同時に現在来年の予定を調整中。まだ出来るかどうかわからない事、もう決まっている事、やりたいこと等。元来自分は先延ばしの性分だけれど、怠けてはいられなくなってきたと感じる。

 毎日遊んでいるように見えても、どんどん成長している子どもたちを見ると、こっちもやらねばと言う気になってくる。

2014年2月1日土曜日

「ひまわり」について (フィボナッチ数列)




以前、富良野でひまわり畑を描いた事があり、ひまわりの種の並びに関心を抱いていた。
以前の「フラクタル」などでもあったように、自然や個々の植物を見ていると幾何学的であったり、何かの法則の基に構成されているに違いないと思えるものがある。

「ひまわり」はその内側の種の配列模様に何か法則があるのではと思っていた。

それは「そうなるべくして」そのような形になったのであり、偶然ではなく必然的に出来上がったものなので、そのタネを明かされると驚き嬉しくなってしまう。


今までNHK教育テレビなどは殆ど見ていなかったのだが子どもがいると見る機会がある。
先日、偶然見てなるほどと思った映像。






内側から外側へ向かって一番密に効率良く並べる形を、ひまわりは長年かけ身をもって作り上げてきたのだろう。そしてその角度が「フィボナッチ数列」から出される「黄金比」の角度であると言う事だった。

古来より人が「美しい」と思ってきた比率が、自然の仕組みと繋がっている事、さらに数式で説明されることは驚きである。
ひまわりがこの「黄金比」を知っていて種を配列したのでないのと同じく、モナリザの顔の比率などは作者の美の感覚的なものからその様になっていったのではないかと自分は思う。
絵画には意図するところと意図しない所の要素があらゆる場所に含まれている。
絵を数学的幾何学模様のみで描いてしまうと、そこには「固さ」しか感じられなくなる。人の手による「不完全さ」も必要な要素なる。(2008年5月の記事に同じ事を書いていたが、「人の手でコントロールすること」と言う記述は今では少し異なると考えている。)



映画の「ひまわり」やフィボナッチ数列の「ひまわり」、今回ものに限らず他の様々な経験は自分の中に溜められて表現につながっていると思っている。すぐには応用できないが。

2013年12月18日水曜日

誕生~



屋久島から広島へ行き、先月23日に第二子が誕生した。その後妻は第二子「菊次朗」を見るため一月間広島にとどまり、自分は長男になった咲太朗と自宅に戻り悪戦苦闘しながら過ごしている。先日は実家のある埼玉で中学時代の恩師と展示会をした。

咲太朗は兄になると言う事に対して期待と心配とがまじっている様で、普段に無い行動をとることがある。いわゆる「赤ちゃんがえり」も最初は見られた。その赤裸々な様子を書くと本人(読めないが)が傷つくので載せないことにしておく。子供の成長は見てとれるので驚く事が多い。

今回の名前も周りを賑わせたようだ。結構予想されてしまっていた。
男兄弟と言うものはどういうものか、自分は弟の視点で、その大変さと楽しさを良く知っている。

2013年11月9日土曜日

制作風景

2013年11月6日水曜日

写真など







「目的と手段を間違ってはならない」。と自分に言い聞かせて登って行った。

自分は描くために登っているのである。風景を描く絵描きの性か、色々な場所へ足を運びたくなってしまうものである。

独りで歩き続けていて、ここがあまりに人の生活と離れていると感じた時、ふと、新宿駅の2階南口ホームの雑踏の景色と音が頭に浮かんできた。なんて対照的なのだろう、なぜこんなところに居るのだろうとあらためて思うと、なぜか可笑しくなってきた。そして、星野道夫が「旅をする木」の中で、「僕たちが毎日生きている同じ瞬間、もう一つの時間が、確実に、ゆったり流れている。日々の暮らしの中で、心の片隅に意識できるかどうか、それは、天と地の差ほどおおきい。」と書いた一節を思い出した。



2013年10月29日火曜日

山籠もり

3日だけだが、白谷雲水峡付近を描くために山小屋に泊まり込んでいだ。標高は800メートル台にあり、水が豊富で苔も多く生えている場所。
苔むした巨木やツタに囲まれて過ごしていると、訪れて見るには素晴らしい場所だが、現場は決して長く滞在する場所では無いと感じる。人を棲まわせない森だった。

描いていると時折人か何かの気配を感じ振り向くのだが、鹿でもなく、何もいなかったと言う事があった。昼間から出るとは考えられないが、何かいそうな雰囲気はあった。